一帯は焼き尽くした。
もはや己の支配下を離れつつある炎を持て余しながら、男は紅い目で辺りを見回した。
黒く焼け焦げたコンクリートと、わずかに原型をとどめた死体。実に無感情にそれを見る。
記憶を揺り起こそうとして、それがずいぶんと遠いところにあるものだと男は気づく。
ここは、一体どこだ。
ボンゴレの内部に知らない場所はないはずだったが、この場所は記憶にない。
無機質で冷たい、こんな場所は知らない。
そうしてふと、己の立つ場所を見下ろした。
四方に倒れた熱い鉄の壁と、鉄の鎖。足元には、いつか目にした指輪。
それから少し先に、倒れている年老いた男。
すべてを視界に入れて、男は記憶を取り戻した。

この男に、自分は凍りつかされたのだ。

腹の奥底から湧き上がってくる怒りを、止める術を男は持たない。
否、止める術は他にあったのだ。男自身がコントロールするのではない。
ただ一人、冷たい銀色だけがそれを為し得た。
けれどいまこの場所に、その銀色は見えない。
伏した男は、自分の記憶にあるよりもずっと老いて見える。
一体どれだけの時を経たのだろうと、男はふと恐怖に似た感情に襲われた。
急激に揺れ動いた感情に呼応するように、発する炎が大きく揺らめく。
四散するように炎が床を走り、壁を舐めた。
傷痕が灼けつくように痛み、また自らの発する炎に焼かれてなお、それは止まらなかった。
このままでいたならば待つのは自滅のみだと、男がそう悟りかけたそのときだ。


「――――ッザンザス!!」


記憶にあるよりも低い、けれど自分が知っている、己の耳にはよく通るその声が自分を呼んだ。
炎を発したままに、ゆっくりとその方を見遣る。
長く伸びた銀の髪を熱風にあおられ、背の向こうに靡かせた男がこちらを向いて立っていた。
その男は、記憶にはない。
けれど記憶のなかにある顔のひとつと奇妙に一致して見えた。
備わった直感よりも、本能が告げただろうか。


「…スク、アーロ」


紅は違うことなく、銀の名を言葉に乗せていた。

銀色はまるで痛みに耐えるように、慈愛をたたえるように、涙をこらえるようにその瞳を細め、主のもとへと走った。
傷ついた身体から発される炎は衰えず、息苦しいほどの熱気を放っていたけれど、それすら気に留めないように。
そうして主のもとへ行き着くと、自分よりも一回り小さいその身体を抱きしめた。
それに刹那のあいだ瞠目し、渾身の力で振り払おうとしたのはザンザスだ。

「…っめろ!離れろ!!」

ザンザスの放つ炎は、スクアーロにも容赦なく襲い掛かった。
吹き飛ばす勢いは携えていないけれど、その熱量は変わらずそこにある。
火花が散るように中心に位置する二人を炎が覆い、スクアーロの身体にも火傷を作っていく。
コントロールが効かないのだ。だから離れろ。離せ。
ザンザスがそう暴れてみせたところで、8年の歳月はあまりに大きい。
いくら恵まれているとはいえ、まだ成長期であるその体躯は成人した男にはやすやすと押さえ込めるものだった。
ヴァリアーの制服が焦げ、一部は溶けるようにして燃え、赤く腫れた皮膚が次第に水ぶくれを作ってなお、
スクアーロはザンザスを離すことをしなかった。
二度とは離してなるものかとでも言うように、その身体を強く抱きしめた。

「スクアーロ!」

叫ぶようにザンザスが呼ぶのに、スクアーロはようやく口を開く。

「…ずっと、待ってた」

あんたを。あんただけを、待ってた。
だから、なあ、いいんだ。このまま屠られるならそれでもいい。
あんたの炎だ。あんたの炎を鎮めることが出来るのは、このオレだけだ。

「なあ、ザンザス、」


…おかえり。


耳元で聞こえたのと、同時。
荒ぶっていた炎は、一度大きくその身を翻させると、ゆっくりと収束を始めた。
辺りを覆っていた熱気が少しずつ中心に向けて冷え始め、煌々と燃え盛っていた炎は揺らめいて衰える。
高熱から光を帯びていたザンザスの手からもそれが引き、元の色を取り戻す。
穏やかに降る雨が緩く炎をとどめるのと同じように、ゆっくりと、けれど確実に。
ぴたりと合わさった胸元で鼓動が重なるのを、彼らは感じたのだろうか。
8年という歳月を経て、ようやく取り戻したそれと、8年の間待ち続けたそれと。
異なるふたつの鼓動が、ゆっくりと同じ時を刻み始める。
そうしてその部屋から熱源が消える頃、ルッスーリアを筆頭としたヴァリアーの幹部が主のいる場所へと辿り着いた。
彼らが目にしたのは、主を抱いてゆっくりと崩れ落ちるスクアーロの姿と、同じように意識を失う主の姿だった。


next.

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