「う゛お゛ぉい、ルッス、ザンザスに会わせろぉ」 「おバカ!あんたはあと一週間はそのベッドの上よ!」 りんごをうさぎ型に剥きながら、ルッスーリアはスクアーロを怒鳴りつけた。 ベッドの上の身体には至るところに白い包帯が巻かれ、点滴すら外れていない。 意識を取り戻したのも、つい昨日のことだ。 ザンザスが覚醒したあの日から、一週間を経過しようとしていた。 「あんたね、全身火傷で死にかけてたのよ!ボンゴレの医療班じゃなかったら今頃墓の下よ!」 「…んなこと言われてもよぉ…」 記憶ねぇからわかんねぇよ、という口に、ルッスーリアは剥いたばかりのりんごを突っ込んだ。 むぐ、とくぐもった声をあげて目を白黒させるスクアーロに、りんごのひとつでも食べれるようになってからにしなさい、とぴしゃりと言い放つ。 実際、スクアーロはまだ口から摂取することをしていなかった。 それでも口に入れられたりんごをしゃりしゃりと歯で削るようにしながら、どうにか飲み込もうと試みる。 それを見て、ルッスーリアがりんごを取り上げた。 「…ボスだって、三日前に意識が戻ったばっかりよ。まだ動けないわ」 ぽいとりんごをごみ箱に放り込んで、代わりに摩り下ろしたりんごをくれる。 手は動かせるでしょ、ベッド起こすわよ、と電動式のそれを動かして、ようやくスクアーロの視線とルッスーリアの視線の位置が合う。 深めの皿に移されたりんごを受け取って、それをスプーンにすくいながら、 「…そういや、あのあとどうなったんだぁ」 スクアーロには、ザンザスの炎を落ち着かせた後の記憶はない。 けれどザンザスが目覚めたとあっては、ゆりかご当時の記憶を持つ者達が黙っていないはずだ。 それでなくても、屋敷の一部が吹き飛ぶほどの騒ぎだったのだ、こんなに穏やかであるはずがない。 スクアーロが辿り着いたあの部屋には、倒れ伏す9代目と幹部の姿があった。 9代目は息絶えてはいなかったようだが、自分が報告を行った幹部はすでに事切れていた。 室内と屋敷の内外の惨状を見る限り、命を落とした幹部は何もあの男だけではないだろう。 末端構成員に至ってはいちいち顔を覚えていないからどうでも良いが、犠牲者は決して少なくないはずだ。 「…9代目のことは、きっとボスから指示があるでしょう。 今は、マーモンや術士達が交代で幻術をかけて平穏を保ってるわ。 幹部連中も、そうね、三人ばっか死んだみたいだけど、おいおいなんとかするわ」 外のことは気にしないで、いまは身体を休めてちょうだい。 身体が元に戻ったら、あなたにやってほしいことは山ほどあるのよ。 そう言い聞かされてしまえば、動けない自分に返せる言葉はない。 ザンザスがいる部屋はレヴィとベルフェゴールが厳重に護っているらしい。 ヴァリアーの屋敷のなかにあれば、とりあえずは安全ということだ。 ならば自分も、いまは動けるだけの体力を戻すことの方が優先か。 そう思ってりんごを乗せたスプーンを口に入れた、正にそのときだ。 どこかで破壊音が聞こえ、続いてレヴィの慌てた声とベルフェゴールの勘に障る笑い声が聞こえた。 "ボス、まだ無理だ、戻ってくれ!" "うししし、焦んなくたってあんたのサンドバッグはちゃんと生きてるよ" "ボス、傷がひら…っ" ゴッ、と鈍い音が聞こえたのも、多分気のせいではない。 ルッスーリアが深く溜息をつくのは仕方のないことだった。 「…まったく、貴方たちは二人そろってせっかちねぇ…」 ボスの方が我慢できなかったんだから、若い分だけそっちのがせっかちかしら。 言いながら、こちらの扉まで破壊される前にと廊の方へ出向いていく。 「ボス、スクアーロならここよ。…もう、ほんとはボスにも出歩いてほしくないのに」 部屋を別にしたの、もしかして逆効果だったかしら。 口にすれば紅い瞳があからさまな怒気をはらんでサングラス越しの瞳を睨みつけ、 ルッスーリアは溜息をついた。 「お邪魔でしょうから、外に出てるわ。くれぐれも無理させないでちょうだいね」 そう言ってルッスーリアの身体がどくのと同時、待ちわびた姿が見える。 ぱたりと閉じ、外界から遮断された部屋のドアの前に立つ、ザンザスの姿。 それは遠く、けれど鮮やかな記憶のなかにある姿とまったく変わらない。 何も言わず、スクアーロと同じようにそこかしこに包帯をまとった紅い瞳はじっと銀色を見つめていた。 体中を覆い、その顔さえも覆っていた凍傷は、いまは幾つかを残すばかりになっている。 痛々しい色は消えていないけれど、あのときよりはだいぶましなようだ。 生きて、自分の足で立って、紅い瞳に自分を映してくれる、ザンザスがそこにいる。 胸が詰まるようだ、とスクアーロは思った。 「…ザン、ザス」 引き攣る喉は、掠れた音を空気に乗せた。 呼ばれたザンザスが、ゆっくりとその歩を進める。 ベッドの上、身体を起こしたスクアーロを間近に見下ろす位置で、その足が止まった。 そうしてゆるゆるとザンザスが手を伸ばす。 その先には、すっかり伸びた銀の髪。 「…伸びたな」 「…ああ。8年だぁ」 「ずいぶん長ぇこと、眠らされてたらしい」 「そうだな。……長かったぜぇ…」 さらり、ザンザスの指はスクアーロの銀糸を梳いて、その指先に絡め取る。 感触を確かめるように、掌には包帯を巻いた手が幾度も触れた。 幼い頃には、乱暴に掴みも、かき乱しもしてくれた手が、8年の時を経て、いま。 「…ッ…」 溢れ出した感情は、堪えることが出来なかった。 わずかに目を瞠ったザンザスが、ゆるりと唇の端を持ち上げる。 人を小馬鹿にしたようなその表情だって、久しく見ていなかったものだ。 「…8年も先に歩きやがって、中身はガキのままか」 「っるせ、ぇよ…ッ」 「…ドカスが」 言って、涙の伝う頬を指で拭った後、あのときとは正反対に、今度はザンザスがスクアーロの頭を胸に抱いた。 くしゃりと髪を乱す、その手つきが記憶にあるそれと変わらなくて。 傷があるのにだって構わないで、スクアーロはザンザスの背を抱き返してすがった。 「っひ、ぅ、う゛〜…っ」 本格的に泣き始めたスクアーロを、馬鹿な野郎だ、とザンザスが笑う。 うるせえ!と返す声は、涙のせいで揺れていて、ちっとも迫力がなかったけれど。 とくり、とくりと確かに伝わってくるザンザスの鼓動に、スクアーロは心底安堵した。 ずっと、ずっと待ち続けた音だった。 スクアーロが泣き止むのを待って、ザンザスはその名を呼んだ。 名残惜しそうに身体を離しながら、目の前の成人した男はずび、と鼻をすする。 汚ねぇな、と文句をつけながらその顔を見て、ザンザスがぶは、と噴き出す。 大の男が、それも自分に代わって暗殺部隊を統括していたであろうその男が、 目と鼻の頭を真っ赤にして、まだ泣き足りないとでもいうように涙を湛えて情けない顔をしているのだ。 これを笑わずして、何を笑えというのだろう。 「う゛ぅるっせええぇ゛!!笑うんじゃねえ!」 「ぶはっ、てめえ、傷に響くからそのツラやめろ!」 「やめられたらとっくにやめてらぁ!」 ぎゃんぎゃんとわめき、スクアーロの息が切れる頃にザンザスの笑いもようやく収まる。 落ち着かない呼吸を繰り返しながら睨みつける男を見返して、ザンザスは満足そうに唇の片側を持ち上げた。 それは以前スクアーロが好きだった表情で、スクアーロは己の鼓動がどくりと跳ねるのを感じる。 気づいているのかいないのか、ザンザスが顔を近づけて赤くなったスクアーロの鼻の頭をがじ、と噛んだ。 「いでっ」 それから文句を上げた唇にひとつ、触れるだけのキスをくれる。 すぐに離れ、視界がぶれるほどに近くにある紅は、スクアーロの銀灰を真っ直ぐに見つめた。 吐息が触れるその距離で、 「足りるか」 問われて、今度はスクアーロの方から唇を重ねた。 二度目のそれは深く、貪るように口づける。 ザンザスの手がスクアーロの後頭部を支え、スクアーロもまたザンザスに手を回した。 角度を変え、時に唇を離しては口づけを繰り返して、それは、互いの呼吸が上がるまで。 はぁ、と震える呼吸を吐き出しながら、 「ザンザス、」 呼べば、彼の唇が自分の名前を象るのが見えた。 どくどくとうるさい己の鼓動で、その声が耳に届いたかは、もう定かではない。 「ザンザス」 呼んで、口づけて、それを繰り返した。 まだ、何も伝えてはいない。 おまえが欲しかったのだと、それすら口にしていない。 けれど、いまは。 なあ、ザンザス、 言いたかったことも、 欲しかったものも全部忘れた おまえがいれば、なんだって。 fin.
07.03.24 お題:言いたかったことも、欲しかったものも全部忘れた ザンスクWEBアンソロジー企画様へ投稿させて頂きました。 << Back