― 赫い鼓動 ―






振り下ろした切っ先に、落ちる音は案外に軽かった。
もう何度も繰り返してきたそれに今更何を思うでもなく、
剣の先からぬるく伝ってくるねばついた血をたったいま伏した男の衣服で拭った。
薄暗い路地裏の、地元の人間ですら滅多に立ち入らないようなその場所。
墓場にするには淋しい場所だが、ボンゴレの領域で薬を売りさばいた男の末路としては当然だった。

身をかがめていた男が膝を伸ばして立ち上がると、その輪郭があらわになる。
さらと夜風に靡いた銀の髪は、腰ほどまでに伸びて長い。
ぱちぱちと点滅を繰り返す離れた先の電灯の光さえ受け取って、夜闇のなかで不釣合いに美しく輝いていた。
鼓動を刻むのはその場にただ一人きりで、誰もその様を目にすることはなかったけれど。
絶命した男を銀灰の瞳がちらりと一瞥し、すぐさま興味をなくしたように視線を反らす。
それから胸のあたりに手をやって取り出すのが、専用の通信機だ。
今回の任務は、9代目からの勅令だった。
薬がばらまかれていることを知るや否や、ただ一言、斬れと命じられた。
穏健派で知られるその人が鋭い一面を持ってもいることは、嫌というほど知っている。
もう、8年になるだろうか。
ただ一人そばにいたいと願った、守りたいと願ったその人を手放してしまってから。
凍てつくその様をただ見ていることしか出来ずに、屈辱の生を強いられた。
いまなおこうして自分が息をしているのは、他でもなく紅い目をした男のため、ただそれだけだ。


プツと軽い音を立てて、通信が繋がる。
これを寄越したのは9代目であったから、恐らくはその人が出るのだろうと予測していたのに対し、
通話口に立った声は聞き慣れた別の幹部のものだった。
少々意表を突かれながら、スクアーロはその声に応える。

『仕事は終えたのか』
「当たり前だぁ。だから連絡入れてんだろぉが」
『首尾は』
「ヘマなんかすっかよぉ。ナメてんのか、てめぇ」
『直に検分が行く。それから帰投しろ』
「りょーおかい。つーかよぉ、」

9代目はどうした。
そう訊けば、一瞬、押し黙る気配。
何か知られてまずいことでもしてるのかと重ねて問えば、今はここにはいない、とだけ答えた。
暗殺を命じた後で、任務完了の報告を聞く前に9代目が席を立つことはそう多くはない。
よほど急ぎの用でも出来たのだろうかと、大して気にはかけずにそうかと流した。
通信を切って5分も経たないうちに検分役の男と処理班とが現れ、幾つか調べると男の死体を乱暴に持ち上げた。
どうするのかと問えば、見せしめに吊るしてやるのだとの返答。
趣味がいい、と皮肉ってやることを忘れずに、スクアーロは踵を返した。


* * *


帰り着いた先は、ヴァリアーの屋敷だ。
主を失って久しいそこは、見慣れたはずなのにどこか色褪せて見えた。
まだ日付の変わらない時間だったが、たとえ朝に近い夜中であろうと屋敷の内は絶えず動いている。
幹部であったり、隊員であったり、対象は違えど皆任務のために正常な時間の流れは存在していなかった。
今日もまたそれは同じで、玄関ホールに姿を見せるなり奥の厨房に続く扉からルッスーリアが現れた。

「あら、おかえりなさいスクアーロ」
「おお。んだぁ、夜中だってのに料理でもしてたのかよぉ」
「ふふ、ついさっき帰ってきたところでね。小腹が空いたものだから…一緒にどう?」

夜だから、一人で食べたらダイエットに障るわ、と続く言葉を聞いて、悪くないなと返した。
返り血など一滴も浴びていないから、このまま彼の部屋に向かっても支障はないだろう。
焼きたてのクッキーの皿を手にした彼と連れ立って、長い廊を歩む。
途中、こちらの姿を見止めて軽い挨拶を寄越す部下はいても、邪魔だとののしる懐かしい声はない。
任務の間に思い出したのがいけなかったのだろうか。
感傷的になっている自分に気づいて、スクアーロは苦笑を零した。

「あら、どうしたの?」

すぐ隣を歩く、自分よりも背の高い彼がそれに気づかないはずもなく、問いを寄越す。
いや、なぁ、と少々おぼつかない返事をして、あんときのこと考えてた、と短く告げた。

「…ボスのことね。」
「ああ…」

急に、しん、と静まり返ったような印象さえ受けるのはどうしてだろう。
誓って伸ばし続けている銀の髪は、スクアーロが歩くのに合わせて背で揺れていた。
幼い頃、伸ばし始めでまだ短かった時分にさえ、物珍しいのかよくその手に引かれていた髪だ。
もしもいまあの男がこれを目にしたなら、何と言うだろうか。
引いて、馬鹿じゃねえのかと罵ってくれたっていい。
ただ無性に、あの声が聞きたくて、あの瞳に自分の姿を映したくてたまらなかった。


行き着いた部屋は、綺麗に整頓されていた。
相変わらず行き届いてるなと言えば、褒めたってクッキーしか出ないわよと彼の返事だ。
ティーポットを戸棚から取り出した彼が向かう先は、部屋にも備えられた簡易キッチン。
湯を沸かす間に摘んでいればいいとクッキーを示されて、スクアーロはひとつ口にした。
ふわと香ばしい匂いが鼻を抜けていって、もういつのことになるだろう、屋敷の裏の芝生に寝転がって、
ルッスーリアの焼いたクッキーを二人で食べたこともあったなと思い出す。
あの頃は、今よりもずっと幼かったけれど、今よりもずっと満たされていた。
足りないのだ。
自分にとって一番大切な一欠片が、今は足りない。
原因のすべては、自分の力不足。
無意識に握った拳に、緩やかな動きで異なる体温が重なった。

「…ルッス」
「だめよ、傷つくわ。勝手に傷なんかつくったら、ボスに怒られるでしょう?」

だから収めなさい、と諭されて、けれど拳を解く気にはなれない。
ぎりと歯噛みさえするスクアーロに、気づかれぬように嘆息してサングラスの奥で瞳を緩めるルッスーリアだ。

「…っけど、あのとき、オレさえ動けてりゃあ…!」
「スクアーロ」
「みすみす、あいつを囚われなんかしなかった…っ」

ただ一人の主はいまも、この8年、どんなに探しても、どんなに侵入を試みても、一度たりとて辿り着けたことのない深淵に囚われている。
8年前、凍てついたあのときのままの姿で。
それがどうにも悔しい。悔しくて、哀しくてたまらない。
欲しいと願うのは、ただひとつ、あの紅だけだ。
高潔で、孤高なまでに美しい、あの紅い瞳。
あの色だけが、どうしても欲しい。
何度詫びたって足りない。何と声をかけたらいいのかもわからない。それでも。

それでもただ、あの男だけが欲しい。

搾り出すように告げるスクアーロに、ルッスーリアは何を言おうかと迷った。
握り締めた手を震わせて、流れた銀糸で表情を隠して、漂う気配はいっそ哀しいくらいに入り乱れている。
自分達が頂とするその男が凍てつく様を目にしたのは、ヴァリアーのなかでは彼だけだ。
だからきっと、自責の念は自分よりもずっと強いに違いない。
元々、純粋すぎるほどに純粋だった彼のこと。自分を許すことなど、きっと出来ない。
困ったわねぇ、と溜息をつきかけたところで、スクアーロが弾かれたように顔を上げた。

「…スクアーロ?」

問うのに、彼はこちらに欠片ほども意識を向けていない。
ただその銀灰の瞳を見開いて、確かめるようにその気配を研ぎ澄ませている。
集中させているそちらの方をルッスーリアもまた探ってみて、同じように目を見開いた。
遠く、けれど遠すぎないその距離に、荒れ狂う気配。
きっと自分ひとりなら気づかなかった、彼が気づいたからこそ気づけたと思うほどにわずかな。
けれど確かに覚えのある、懐かしい気配。
信じられない。まさかと思う。けれど。


「ルッス!」


間近で叫んだスクアーロの声に、は、と我に返れば、まるでいまにも泣き出しそうな色でこちらを見上げる瞳があった。
言葉になんてしなくていい。わかる。伝わる。
すぐにでも駆け出したいのだろう、腰を上げた彼に一言、行くわよ、と告げれば、おう、と力強い返事だ。
蹴破るようにドアを開いて廊に出れば、屋敷内もいつになく慌しい様子を見せていた。
そのうちの一人がこちらの姿を見止めて、

「本部から至急の連絡です!」


next.

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