Siva

2012.06.20 039.今更かもしれないけれど 帝光中部室にて


きっかけはなんだろう、思い出せないくらいには些細だったはずだ。
思春期にはありがちな同性への憧れがほんの少しだけ形を変えて、たまたまぴたりと嵌まってしまっただけのこと。
互いに気づかないふりは出来ないまま、悪戯に重ねた熱だけが身体の中で渦巻いて、言葉にする方法を知らずに過ごした末の、

――――うだるように暑い、夏の出来事。

ゴロゴロと聞こえていた遠雷は、日が暮れるころに雨を伴ってやってきた。
ちょうど部活を終えて帰る頃合いだ、突然の夕立ちに方々から悲鳴が上がっている。
置き傘を取りにロッカーへと引き返す者、昇降口で雨宿りをする者、時間潰しに教室や図書室へ向かう者――一様にうんざりとした表情だ。
無理もない。せっかくの金曜、明日は休みだというのに、家路に着くのを邪魔されては。
叩きつけるような激しい雨足は、その勢いを弱めそうにはない。
広い校庭の向こう側は煙り、夕暮れとはいえまだ明るいはずの空にもそれとわかる稲光が走る。
学校の敷地は広い。
校舎ひとつとっても大きいが、外周をぐるりと覆うフェンスさえ雨に霞んで見える今は、外界と切り離された錯覚さえ覚えるほどだ。
「まるで閉じ込められたようだ」と、誰かがぽつり、溜息とともに呟いた。




ばしゃばしゃと水溜まりを駆け抜ける音が響く。
ひび割れたコンクリートに雨が染み込んで、濃い陰影が幾筋も見えた。
その上に溜まる雨水を容赦なく踏みつけながら、二つの影が目的地へとひた走る。

「テツ!ほら、もうちょいだから走れ!」
「ま…ッ、は、速いです青峰く…ッ」

遅れがちな黒子の手を引いて前を走るのは青峰だ。
大柄な青峰と、それに比べれば小柄な黒子の間には、実に20cmを超える身長差が存在する。
身長が違えば足の長さも違うのだから、その一歩には大きな差があった。
青峰が一歩で踏み越えてしまう距離は、黒子にとっては一歩半でようやく追いつく距離だ。
その状態で手を引かれて走れば、練習に体力を削られた黒子が途中で音を上げるのは当然の結果だった。


* * *


部活の後の自主練習。
黒子がレギュラー入りを果たした後も日課になっていたそれは、例え週に一度の安息日でも変わらない。
しっかり身体を休めることも一軍レギュラーの心得のうちだとは赤司の言葉だったが、彼にしたって自他ともに認めるバスケ馬鹿の青峰が大人しく帰宅することなど端から期待していなかったろう。
無茶をしないように見張ってやってくれ、と黒子に言付けて行ったのがいい証拠だ。
「赤司くんの命令には逆らえません」と仕方がなしを装って青峰のもとにやってきた黒子は、楽しそうな色を滲ませていた。
安息日には大抵撮影に追われている黄瀬が「オレも黒子っちとバスケするっスー!!」と喚きながらも事務所の人間に引きずられて行くのを見送ったのがほんの二、三時間前のことである。
いつもは所狭しとバスケ部員のひしめいている体育館だが、バスケ部の安息日ともなれば少々勝手が違う。
第1と第2体育館は他の運動部が使用しているし、第3体育館はワックスがけだとかで使えない。
しかしながらいつも黒子と練習している第4体育館は、赤司が裏から手を回しているために、いつどんな時でも使用可能だった。
黒子による幽霊騒ぎが生徒のなかでずいぶんな噂になったこともあって、使用権を勝ち取るのは造作もなかったと聞いている。
まったく赤司サマサマだな、と内心肩を竦めながら、青峰は体育館の鍵を手慰みに放り投げた。


体育館へと向かう渡り廊下の手前には、専ら運動部が利用している自販機がある。
化け物じみた青峰の体力についていけない黒子が途中でへばるのはいつものことで、その度青峰がドリンクを買いに走るのだ。

「ほらよ」
「スミマセン…」

今日も今日とて体育館の床に伸びた黒子に苦笑をひとつ、腹這いのまま黒子が伸ばしてきた手に冷えたボトルを渡してやる。
受け取った黒子がボトルを引き寄せ、頬に当てて「気持ちいいです」と笑うから、青峰は満足してぐりぐりと頭を撫でてやった。
毎度お決まりのように「コドモ扱いしないでください」と唇をとがらせる黒子だが、嫌がっていないことくらいお見通しだ。
更に撫で回してやると、心地良さそうに目を閉じた。
気まぐれな猫のような仕草に、知らず青峰の口もとが緩む。
今は黒子が目を閉じているからいいが、ばれたら機嫌を損ねられそうだ。
さてこの緩んだ頬をどうしようかといささか回転の悪い頭にエンジンをかけて、青峰はふと思い出した。

「そういやテツ、今朝、天気予報って見たか?」
「いいえ…でも、今日はずいぶん良い天気でしたけど。なにか?」
「飲み物、買いに行ったときによ。空ずいぶん暗くなってたみてェだから」

雷のような音が聞こえた気もしたし、と続ければ、緩慢な動作で黒子が身を起こした。

「今日は、暑かったですし。夕立ちが来るのかもしれませんね。降られると厄介です、…ちょっと早いですが、帰りますか」
「おー…」

黒子と練習をしていると、いつも時間が過ぎるのが速い。黄瀬が加わると尚更だ。
きっと楽しくて楽しくて仕方がないからだろうと青峰は思っている。
いつだって楽しい時間は速く過ぎて、授業のようなつまらない時間は長くいつまでも終わらない。
授業時間と部活の時間が逆転してしまえばいいのにと、一体何度思っただろう。
ちらと目をやった体育館の時計はまだ6時に差しかかったばかりで、普段であれば部活動を終え、自主練習に移る頃合いだ。

―――つまるところ、黒子と一緒にいる時間がいつもよりずっと少ない。

雨に降られるのは面倒だし、そうならないうちに帰ろうという気持ちも少なからずあるのだが。
なんとなく返答を鈍らせてしまうのは、「まだ黒子と過ごしたい」という素直な欲求からくるものだった。

「青峰くん?」

返答のない青峰を訝しんだのか、黒子がひょいと青峰を覗き込む。
その距離の近さに思わず、ちゅ、と小さく口づけてしまえば、一瞬ぽかんとした黒子が数拍の後にどぎまぎと視線を逸らした。

「……キミの唐突さには正直呆れます…」
「…ワリ。」

ぽりぽりと耳の裏を掻いて、おざなりに謝罪する。
黒子とスキンシップを超えた触れ合いを持つようになったのは、黒子がレギュラー入りを果たした少し後からだ。
誰も知らない、自分だけが知っている宝物のような、誰にも教えたくない秘密のような、黒子はそんな存在だった。
それが赤司に知られたあの日から同じ一軍メンバーの知るところになって、自分だけが気づいていたはずの黒子の存在に他の誰かが気づき始めて、――最近では、ツンケンしていたはずの黄瀬までもがまるで忠犬のように纏わりつくようになった。
じわりと青峰の胸の内を焼いたのは、子どもじみた独占欲。
もともと黒子に対してのスキンシップは過剰な方だったと自覚しているが、それがどこから来るものなのか、青峰はこのときまではっきりとは知らずにいたのだ。
黒子に向ける独占欲の根底にあるものがなんなのか、それに気づいた後の青峰の行動は早かった。
無意識のうちに己を抑えることをやめた。
正面切って好きだと伝えることは出来なくても、今まで以上に黒子を構い倒し、冗談めかしてその肌に触れた。
黒子が嫌がらないのを良いことにひとつひとつ距離を詰め、逃げ場を奪い、幾度となく口づけて、黒子を自らの腕の中に囲い込んだ。
時に無邪気を装い、時に強引に迫って翻弄し、彼が自分以外の誰をも選ぶことがないように。
それが功を奏したのかは知らないが、青峰も黒子も互いにはっきりとは言葉にしないままに、事実上「恋人」の立場を手に入れた。
たった二文字、言葉にしてしまえばきっと一秒もかからない。
けれどその二文字を伝えられないまま、ずるずると時間ばかり重ねている。

(どんな声で啼くか、イく顔まで知ってんのに)

その唇が綴る、「好き」だけを知らない。




「…行くか、テツ」
「はい」

体育館の鍵を締め、渡り廊下を歩く。
来たときと同じように青峰はちゃりちゃりと鍵をもてあそびながら、片手は黒子の手を掴んでいた。
空模様を見て外の連中も早めに切り上げたのか、いつもなら聞こえる威勢の良い声も今はない。
第4体育館は他とは少し離れた位置にあるためか、生徒の姿も見かけなかった。
誰の目もないならと、自分よりもずっと小さい黒子の手に指を絡ませる。いわゆる恋人繋ぎだ。
ほんの一瞬ぴくりと反応した黒子が、青峰の手をそっと握り返した。
隣に視線をやっても、背の高い青峰からは俯き気味に歩く黒子のつむじしか見えない。
けれどさらさらと風に流れる水色の間からほんのり赤く色を変えた耳が見えていて、青峰はふと目元を和らげた。

黒子の気持ちを確かに感じるのは、こんなときだ。
言葉にしない、言葉にできないずるさはお互い様。けれど何より雄弁に語ってくれるものがある。
……物足りなさまでは、拭えないけれど。

はあ、と小さく、黒子に気づかれないように息を吐き出しつつ、握った手を離さない。
こうしていられるのも、人影の見えないこの場所だから。校舎に入るまでだけだ。
ぎゅっと握った小さな手から確かな温もりを感じ取り、穏やかに流れる時間に心地良さを覚えながら、渡り廊下の途中から中庭を抜けて部室棟へ向かおうとしたところで――突如として、空が泣き出したのである。
しっとりとしていたはずの時間が、急に慌ただしく動き出す。

「おいおいおいマジか!!」
「これは…逃げ場がありませんね」
「なに冷静ぶってんだテツ!」

よりにもよって、縦に長い中庭の途中。
渡り廊下に戻るにも、部室棟のある昇降口へ駆け込むにも距離がある。
大粒の雨は容赦なく降り注ぎ、ずぶ濡れになるのはあっという間のことだった。

「と、とりあえず走んぞ!」
「え、でも青峰くん、これだけ濡れてしまえば急いだってどうせ――」
「仮にも一軍選手が身体冷やすな!!」

少しでも早く部室棟に、と促す青峰に、彼の譲れないこと以外では案外諦めの良い黒子が口にした反論は、綺麗に一蹴されてしまった。
いつもなら黒子の方が青峰を言い負かす側であるのに、最もなことを最もな顔で言われてしまっては、さすがの黒子も言い返せない。
青峰のくせに正論を、と得意の無表情で負け惜しみついでのからかいを口にする暇もなく、繋いだ手はそのままに、青峰に引かれるに至ったのだった。


* * *


「あお…ッ、も、むり、です…!」
「あー!!ったく!」
「う、わっ」

ぜえぜえと息の切れた黒子を見かねたのか、青峰がぐいと黒子の腰を引き寄せる。
そのままひょいと小さな子どもでも持ち上げるように抱き上げられて、急に高くなった視界と体勢の不安定さに慌てた黒子は咄嗟に青峰の肩にしがみついた。
人ひとり抱えているくせに、ぐんと青峰の走るスピードが上がる。
黒子の腕を引いていたときはあれでもこちらに合わせてくれていたのかと思うと、なんとも悔しい気持ちになった。けれど。

「お、下ろしてください青峰くん!」
「うっせー!いいから掴まってろ!」

あとちょっとだから、と叫んだ青峰は、宣言通りまもなく校舎の中へと飛び込んだ。
部室棟と教室棟、特別教室棟への玄関口となるそこはコモンホールを備え、昼間であれば多くの生徒が行き交う場所である。
放課後の今はがらんとして、廊下の奥の昇降口だけがやけに騒がしい。同じように雨に降られた生徒たちがてんやわんやしているのだろう。
部室棟の方はあらかたが引き上げたのか、案外に静かだ。
人の姿が見えないのを良いことに、青峰は黒子を抱き上げたままロッカーを目指して再び走り出した。




「……あんなに、下ろしてくださいって言ったのに」
「誰にも見られなかっただろうが。いーからとっととTシャツ脱げ」
「っぶ、」

ぼふりと投げ付けられたスポーツタオルを顔面で受け止めて、黒子はじとりと青峰を睨んだ。
睨まれた側の青峰は黒子の視線など気にするそぶりもなく、また一枚タオルを取り出すところだったけれど。

黒子がようやく地面に足を付けたのは、ロッカールームに入ってからだ。
途中誰にも見られることがなかったのはもはや奇跡に近いと黒子は思う。
バスケ部一軍のロッカールームは、部室棟の一番奥だ。体育館からは少し離れるが、シャワールームに一番近い。且つ、一番広かった。
壁に沿って細長いロッカーが並び、部屋の中央には両側から腰掛けることのできるベンチが間隔を空けて二本。
その正面にはホワイトボードと、DVDデッキの付いたモニターが二つだ。折り畳み式のデスクも奥に片付けられている。
ころころと転がっているバスケットボールはご愛嬌。
二日前に青峰がベンチに投げ出して行ったグラビア雑誌は、桃井の手によるものだろう、へし曲がってゴミ箱に刺さっていた。
部屋の隅では小ぶりの冷蔵庫が小さく唸っていて、マネージャー陣が片付けてくれるボトルやコップが備え付けの棚に整然と並ぶ。
広がるのはいつもと変わらない部室の光景のはずだ―――けれど、窓から見える外の景色が雨に濡れて灰色だった。

「テツ、傘は?」

外の様子に眉を寄せながら青峰が薄いカーテンを引いて、がしがしと乱暴に頭を拭いながら黒子を振り返る。
黒子もまた投げられたタオルで水滴を拭いながら、幾らかむすりとした声色で返した。

「ボクの置き傘、勝手に使ったのキミでしょう…?」
「あー……」

そういやそうだった、とどこか気まずげに視線を逸らす青峰は、どうやら今の今まで本気で忘れていたらしい。
部室のロッカーには貴重品は置かないからと、皆大抵鍵はかけないままにしている。
入り口の鍵は赤司が厳重に管理していたし、バスケ部の熱狂的ファンだとか黄瀬の追っかけだとかでも、あの赤司を敵にしてまで一軍のロッカールームに忍び込むような度胸ある輩はさすがに存在しないだろうという見解からだ。
しかしながら同じ一軍選手の中にも敵はいるもので、菓子を隠しておこうものならいつのまにやら紫原の腹に収まっているし、バスケットにあまり関係のないもの(黄瀬の雑誌とか写真集とかアルバムとか、青峰のグラビア雑誌とかエロ雑誌とかDVDとかそんなものだ)は、場合によって赤司の新たな脅迫材料になることもあるから気は抜けない。
黒子の置き傘もまた、つい先日黒子が家の用事で部活を休んだ日に大雨が降り、青峰が使ってしまったのだった。

「こういうのって自業自得?っつーんだっけ?」
「全然違います馬鹿ですか…っくしゅ、」
「おい、」

途中で切れた文句の代わりに聞こえた小さなくしゃみに、窓際にいた青峰が黒子へと歩み寄る。
薄水色の髪からぽたぽたと雫が滴っているのを見て小さく舌打ちすると、青峰は黒子の掴んでいたタオルを奪い、乱暴に拭いだした。

「いたッ、痛いです青峰くん!」
「うっせ!仕置きだ仕置き!とっとと脱げっつってんのに、よッ」
「わッ」

拭い始めたときと同様唐突にタオルを取って自らの肩にかけると、青峰は黒子のTシャツを勢いよく引っぺがした。
強制的に幼い子のする「バンザイ」をさせられた黒子が自分の状態を察知するより先に、青峰は再びタオルで黒子の肌を拭いだす。
半裸になってひやりとした空気を感じるより前に混乱が襲って、黒子は黙々と自分の世話をする青峰に待ったをかけた。

「じ、自分でできますから!」
「んぁ?」
「タオル!!」

よこせとばかりに手を突き出せば、どこかしぶしぶとした様子で青峰がタオルを手渡してくれる。
自分だって濡れたTシャツを脱いでもいないくせに、放っておくと黒子のことばかり気にかけるのだ、青峰は。
それを嬉しくもくすぐったくも思うけれど、「風邪をひく」という条件においては青峰も黒子と変わらない。
黒子よりかは丈夫かもしれないが、よく油断しては風邪をひいているのを知っているから尚更だ。

「青峰くんこそ早くそれ、脱いでください」
「ん~、」

ぴし、と指で濡れたTシャツを示せば、たったいま思い出したような緩慢な仕草で脱ぎ始めた。
露わになる身体は黒子の薄いそれとは違って未成熟ながらしっかりと鍛えられて、思わずどくりと心臓が高鳴った。
部活中にだって何度となく目にしてきたし、合宿では風呂だって一緒だったし、あまり公にはできない付き合いだってしているというのに、何を今更と小さく頭を振る。
視線を逸らそうとするのに逸らせなくて、思わずまじまじと窺っていれば、濡れたTシャツをベンチに放った青峰がちらりと視線をよこして笑った。

「……テツのエッチ」
「馬鹿ですかキミは」

言いながら、そっぽを向いて俯く。
ここが薄暗くて良かった。ほんのりと頬にのぼった朱色も、ここではきっと目立たない。
どこまでごまかせたのかわからないが、黒子の辛辣な返事を「ツレねェなあ」と笑い飛ばした青峰が、黒子の横を通り過ぎてひとつのロッカーを開けた。
青峰の隣のロッカーは、緑間のものだ。何やら物色した後で小さく舌を打つと、今度は逆隣の黄瀬のロッカーを開ける。
ふわりと良い香りがした気がして視線を向けると、青峰はわずかばかり眉をしかめていた。
かいだ覚えのあるこの匂いは、確か黄瀬をイメージして作られたというコロンのものだ。
爽やかな香りを黒子は好いていたけれど、青峰は人工的な匂いはあまり好きではないと言っていたからそのせいだろう。
難しい顔をしながらも目的の物を見つけたらしい青峰がロッカーから引っ張り出したのは黄瀬のバスタオルだ。
部活の後に必ずシャワーを浴びていく彼は、いつも二、三枚ロッカーにストックしている。
それにぽふんと顔を埋めて匂いを確かめた青峰はますます嫌な顔をしていたが、この状況下では仕方がなしと妥協したのだろう、広げると肩を覆うようにはおった。
それから再び自分のロッカーを開けると、今度は予備のジャージを取り出す。
黒子は家に持ち帰ってしまって置いていないが、替えがあるなら素直にそちらに着替えればいいのに。
そう思っていると、青峰がひょいと手にしたそれを投げてよこした。

「え、青…」

反射的に受け取って青峰を見返すと、青峰は自分のロッカーを背に床に座り込んでいた。
膝を立て、そこに腕を乗せて、だらしなく開いた足の間にはちょうど人ひとりすっぽり収まるようなスペースが作られている。

「さすがにシャワー室の鍵はねェからよ。…テツ、」

斜めにこちらを見上げてくいと顎で促す仕草に、青峰が何を求めているかは言葉にされずとも理解できた。

「…お邪魔します」
「おー」

ぽつりと断りを入れれば青峰が笑った気配があって、足の間に腰を下ろすと、すぐさま自分がはおったバスタオルで包み込むように青峰の腕が回された。
ぐいと引き寄せられて、いつもされているように囲い込まれる。
部活の休憩時間や、屋上でお昼御飯を食べた後。青峰はよくこうして黒子を抱きたがった。

「あったけ…」

すり、と擦り寄り、もっと近くにと言わんばかりに黒子を抱き寄せる仕草は、まるで大型の猛獣がじゃれつくようだ。
青峰が黒子に甘えてくるのはいつものことだったから、黒子はふと頬を緩め、自分を優しく束縛する腕をぽんぽんと叩く。

「青峰くん、風邪、ひかないでくださいよ」
「バーカ。オレの台詞だっつの」

ちゃんと被っとけと促されて、渡された青峰のジャージで胸もとから膝を覆い、青峰の胸に背を預けてもたれる。
幾ら拭ったとはいえ雨に濡れてしっとりとした肌はぴたりと吸いつくようで、黒子ははあと息を吐き出した。
自らの内に籠った熱を吐き出すようなそれは、やけに大きく響いた気がした。

「……雨、止みませんね」
「ああ…ま、しばらくは無理だろ。真っ暗になる前に上がりゃいいけど」
「お腹空いてきちゃいました」
「帰りマジバ寄ってくか」
「はい。バニラ「今日はあったかいもんにしとけ」……。」

バニラシェイク、と続けるのを邪魔されて、ぷくり膨れた黒子の頬を青峰がつつく。
幼い悪戯への無反応を吐息で笑われたのがわかって、黒子は首を傾けて青峰の指先にやんわりと噛みついて抗議した。
いてェよ、そう言って指を引きながら、再び笑う声が優しい。
黒子が青峰の指を傷つけられるはずなどないのだと、青峰は理解しているからだ。
ふと会話が途切れる。
けれど青峰との間に流れる沈黙は黒子にとって心地の良いもので、さして気にしたことはなかった。
きっと青峰も同じだったと思う。
…それがどうして、今日はこんなにも落ち着かない気持ちになってしまうのか。

(……青峰くんの、)

心臓の音が近い。触れる肌も、熱い。
こんなふうに触れ合うのはいつも青峰のベッドの上だった。
青峰の家族の不在を狙って二人きり。
ただNBAのDVDを観るとか、発売されたばかりのバスケ雑誌を片手に菓子を摘むとか。時に青峰の勉強を見てやることもあったけれど。
大抵は青峰の仕掛けるキスで、部屋の空気の密度が変わるのだ。
秘密めいて淫らな、ほんの少しの罪悪感と、上回る期待と。
肌に触れる青峰の手の熱さはたぶん、黒子しか知らないものだ。
リズムの速まる鼓動に気づかれたくなくてほんのわずか身じろげば、ぞろりとうなじを舐めていく熱い感触があって、黒子は小さく息を呑んだ。

「ッ、あお…」
「…テツの、匂いがする」

密やかにささやくような低く掠れた声は、けれど確かに耳に届いて黒子の体温をかっと上げた。
ちゅ、と、今度は確かに首筋に口づけられ、また舌でねぶられる感覚にふるりと肩を震わせて、黒子はきゅっと唇を噛む。

「……悪ィ、テツ」

止まんねぇ。




押し殺すような声で告げた青峰に上向かされ、唇を奪われる。
噛み締めたそこをゆるりと舌先でなぞられて薄っすらと開けば、すぐに熱い舌が滑り込んだ。

「ッん、ん、ぅ…」

舌と舌を絡め、触れ合わせるさなかにも、青峰の手が性急に黒子の肌を這う。
感じていた肌寒さと青峰の与える刺激につんととがっていた乳首を指先で摘み、転がして、時折きゅっと引っ張ってみせる。
ぴくんと黒子が反応すればより深く唇を重ねられて、もう一方の手は黒子の足の間をダイレクトに刺激した。
大きな手にやんわりと揉み込むような手つきで性感を促されれば、否が応でも黒子の若い性は反応してしまう。
控えめながらもハーフパンツの下、兆し始めた黒子に興奮したのか、青峰はきつく舌を吸った。

「んん…ッ!…ぁ、」

赤く熟れた舌をやんわりと噛んで離した後、青峰は腕の中の黒子の体勢を入れ替えた。
自らは胡坐をかき、それを黒子に跨がせるようにして腰を密着させると、互いの昂ぶった性器が擦れ合う。
布を隔てた上からでも生々しい感触に黒子がぱっと頬を赤らめて、正面からそれを目にした青峰はぺろりと舌を舐めずった。

「…下、脱がすぞ」

制服と違って部活用のハーフパンツは実に脱がせやすい。
動きやすいようにゆったりとした作りのそれは裾から手を入れてしまえば簡単に太腿を堪能することもできたし、ちょっと引っ張ればすとんと足首まで落とせてしまう。
腰骨からして華奢な黒子のパンツを片脚だけ抜かせて、青峰は再び自分の上に抱え上げた。

「青、峰くん…ッ」

はあ、と濡れた吐息混じりに名前を呼ぶ黒子に口づける。
下唇をなぞり、甘く噛んで、黒子が求めるのに応じて舌を絡めた。
柔らかな舌を追いかけてくすぐり、つるりとして綺麗なエナメル質をなぞって、口蓋を舐めて挑発する。
そうされることで生まれるざわざわとした感触が好きではないと言った黒子だが、ただ感じて仕方ないからだろうと青峰は思っていた。
口内の粘膜は敏感にできている。青峰の性器を咥えさせて腰を揺らしたとき、苦しそうな息の下で恍惚とした表情を浮かべていたのはいったい誰だったか。
舌先でひとつひとつなぞってやれば、青峰が手の中に包んだ黒子の熱はとろとろと嬉しそうに蜜を零した。

「ン、あ…」
「やーらし…、テツ」
「あッ、ア、」

唇を離し、唾液を舐め取りながら指先で先端を擦ると、溢れた蜜が青峰の指と黒子の性器の間でいやらしく糸を引いた。
くちゅりと音を立てて擦りつければ青峰にしがみつく力が増して、黒子はぶるっと腰を震わせる。

「きもちぃの?」
「…ッン…!」

きゅうっと強めに扱いてやると、まるで押し出されるようにぴゅくりと透明な蜜が吐き出された。
青峰の問いかけにコクンと小さく頷く様は熱を上げるには十分すぎて、青峰は獰猛な笑みを浮かべる。
それがどくんと黒子の鼓動を跳ねあげることなど、青峰は計算せずとも知っていただろう。
ごそ、と衣擦れの音が耳に届いて、黒子は不安と期待と情欲が入り混じった目で見下ろした。

「…っ、ぁ、」
「オレも。そろそろ無理だわ」

薄暗がりの中。青峰が肩からはおったバスタオルだとか、黒子の身体が作りだす陰影だとかに紛れても、はっきりと分かる青峰の昂ぶり。
さんざん泣かされてもきたし、咥えて奉仕することを教えられたことだってあったけれど、正面から視界に捕らえて赤面せずにいられるほど、黒子はまだこの行為にもシチュエーションにも慣れていない。
先ほども布越しに押し当てられはしたものの、青峰が自らの手で取りだしたそれはずしりとした質量と確かな熱が感じられて、耳が熱くなるのを止められなかった。

「あっ、ヤ、です、」
「ヤ、じゃねえだろ」

青峰にしがみついていた手を剥がされて、導かれた先は目にしたばかりの。
青峰の性器を握らされ、重ねられた青峰の手がさながら黒子の手を借りて自慰をするように動く。
手のひらに感じるまるで自分とは違う熱と、脈打つのさえ感じられそうな勃起に、黒子の腰の奥がずくりと疼いた。
薄い色をした黒子の目にちらちらと灯る情欲の炎と、刺激を与えられずとも勃ち上がったままの黒子の性器からとろりと伝った新たな蜜に気が付かないほど、青峰は余裕を失くしていない。
黒子の手が青峰に促されずとも屹立を扱いているのに目を細めて、青峰は黒子の足の間に手を伸ばした。

「ッア!あ、青峰、く…ッ」
「腰。ちゃんと下ろせよ……、そう、いい子だ」

やわやわと双珠を揉み込みながら、浮かせ気味に逃げていた黒子の腰を引き寄せる。
自らと黒子の性器が触れ合う位置まで腰を進めさせると、青峰は黒子の両手に二人まとめて握らせた。

「や、ああッ、青、あお、みねくん…!」
「テツ…、ほら、逃げんな。後ろ、弄ってやるからこっちして…」
「ん、ッ…ふ、ぅん…っ」

掠めるように口づけられ、いつだってとろとろに甘やかす舌が黒子の舌をくすぐった。
揺らぐ視界を閉じて舌先の愛撫に酔いながら、まるで熱に浮かされたように手の中の勃起を慰める。
ちゅく、にちゅ、と聞こえてくる粘着質な水音が舌先から生まれるものなのか、はしたなく濡れそぼつ性器から生まれるものなのか、もう判断が曖昧だ。
するりと青峰の手が黒子の腰をたどり、双丘を撫で回す。女性の柔らかなそれとは違うそこを揉むようにして、ひたりと指先であわいを暴く。

「ンッ、ンぁ、あお…ッ」
「痛くしねェよ。いいからこっちに集中してろ」
「あ、ッぁ、…っ!」

性感を煽られてはいても、部室という日常的な空間でする非日常な出来事に緊張しているのか、黒子の窄まりは硬く閉ざしている。
まるで焦りもない青峰はぬめる指の腹で何度も窄まりの表面をなぞった。

「ッな、に…」
「ん?ああ、ワセリン。緑間がよく指先がどうとかで使ってんだろ」
「そん、なの、勝手に…ッ」
「ロッカーに入れとく方が悪ィんだっつの」

おまえが気にすることじゃねえ。
言い捨てて、

「…それより、そろそろ疼いてんじゃねえの?」
「っひ、ァ!」

何度も擦られるうちにひくひくと疼きを覚えていたアヌスに浅く指を埋められて黒子が高く啼いた。
その拍子にきゅっと性器を握っていた手に力を入れてしまって、思わぬ刺激にびくんと腰を揺らす。

「…ッ、…テツ!いまのは不意打ちだろ…ッ」
「ボクのせいじゃ、ありませ…ッア!」
「生意気」
「ヤッ、あ、青峰くんっ、あ、ぅあ…ッ!」

ずぬりと深くまで青峰の太い指を挿し入れられて、黒子は喉を反らせて喘いだ。
晒された白い喉元にごくりと唾を飲み込んで、青峰は誘われるようにやんわりと噛みつく。
急所に牙を立てられる、そんな生物として根源的に刻まれた恐怖を心地良く感じる程度に刺激されて、ぞわぞわと背を舐める悦楽に黒子はとろりとした悲鳴をあげた。
ぬぷぬぷとぬめりを塗り広げるように黒子の襞を確かめながら、青峰は喉に舌を這わせ、ひとつふたつと薄い皮膚に吸いついて痕を残す。
後ろを刺激し始めたころから緩慢になり、青峰の満足するような声をあげるようになってからはすっかり止まってしまった黒子の愛撫に青峰は小さく苦笑した。

「…こら、ちゃんとおれも気持ち良くしてくれって…」
「あっ、あ、ァ、ヤ、…ッおみ、ねく…!」

青峰の顔が喉元から退いた後、黒子がようやく青峰と視線を合わせた。
熱に潤んでいた瞳はすっかり快楽に溶けていて、上気した頬と、ちらちらと覗く赤い舌がより劣情を煽る。
興奮に乾いた唇を無意識に舌でなぞれば、そんな獣じみた青峰の仕草を目にした黒子はたまらなくなって頭を振った。

「っめ、だめです、も…ッ」

イく、と掠れた声で訴えれば、どくんと手の中の青峰の熱が質量を増すのが分かった。
ひくっと息を飲み込むと同時にほぐされたアヌスに三本目の指を捻じ込まれて、瞼の裏、ちかちかと光が明滅するなかで黒子が達する。
白く平らな腹を震わせて達する様を存分に眺め、青峰は余韻にひくひくと指を締めつけるそこにゆっくりと刺激を繰り返した。

「あッ、あ、―――ッ、っめ、ヤ、アッ」

そろりと動く指先さえ達したばかりの身体には辛いのか、くたりと力が入らないままで青峰の腕を掴もうとする様がいじらしい。
白く汚れた黒子の指がやけにいやらしく見えて、今にも泣き出しそうな瞳、その瞼にそっと口づける。

「なあ…やべえ、テツ、入れてぇ」

掠れ、熱をはらんで興奮を呑み込んだような声音を耳元に直接吹き込まれて、黒子の肌がぞくりとざわめく。
ぴちゃ、と耳朶を舐められて、弱いところを這う舌に腰が震えた。

「ん、や…」
「わかるか?…もうとろっとろ。おれの指ふやけちまうって…」
「ばか、ですかッ…、あ、あ、だめ…!」

捻じ込まれた指がばらばらに動いて、黒子の感じるところを容赦なく掻き乱す。
ワセリンを足したのかぬちゃぬちゃと耳を塞ぎたくなるような卑猥な音は遠慮の欠片もなく黒子の耳に飛び込んできて、ばくばくと心臓が早鐘を打った。
テツ、と。
大好きな声が自分の名前を呼んでくれる、その行為さえ今はただ悪戯に熱を煽るばかりで恨めしい。
ゆっくりと指が引き抜かれ、代わりにひたりと押し当てられたのは、先ほどまで自分の手の中で慰めていた青峰の昂ぶりだ。
指とはまるで違う確かな熱量にビクンと黒子の背が震える。

「だめ、だめです、青峰く…ッ」
「ムリ。…ほら、入っちまう…」
「あ、アア、や、だめ、ッあ、あー…っ」

ゆっくりと、けれど拒否は許さずに。
慣らしてもなお狭い黒子のアヌスに青峰は屹立を呑み込ませた。
逃げようとする細い腰を掴んで引き寄せ、かたかたと小さく震える背を何度も撫でてあやしてやりながら。

「は…ッ、ぁ、ああ、ッ……」
「…く、すっげ……あちぃ、」

黒子の呼吸に合わせて根もとまで呑み込ませると、へたりと青峰にもたれてきた黒子を一度抱きしめる。
雨に濡れて冷えたはずの肌はすっかり熱く、まだ湿り気を帯びた髪だけが汗ばんだそこに張り付いている。
そっと指先で払ってこめかみに口づけ、青峰は黒子の腰を抱え直した。

「んっ、まだ…ッ」
「無茶言え、っての…!」
「あ!ッあ、あ、」

呼吸の整わないうちにゆさ、と揺さぶられて、奥を抉る熱に声が上がる。
いつものようにベッドの上ではないから、深く呑み込まされる体勢でも激しく抽挿されることがない。
それに物足りなさを覚えてしまうくらいには黒子の身体は青峰に慣らされていて、羞恥にかっと体温が上がった。
きゅうう、と体内に呑み込んだ青峰を締めつけると、チ、と余裕の殺がれた舌打ちが聞こえてびくりと肩を揺らす。

「…違ェよ、バァカ、勘違いすんな」

機嫌を損ねたわけではないのだと聞かされてほっと息をつく。
けれど次の瞬間には青峰が肩にはおっていたバスタオルを放り投げて、その上にどさりと押し倒された。

「ッあ、ァ――…!」

体内を抉るそれの角度が変わって、黒子の唇から甘い悲鳴が零れ落ちる。
ぐいと足を押し開かれ、身体を折り曲げるようにして腰を押しつけられて、頭の芯を焼くような衝撃の強さに黒子の身体ががくがくと震えた。
深い呼吸をし損ねて、はくりと喉が苦しげに鳴る。
それでも涙の幕が張る薄暗い視界に自分を組み敷く青峰の姿が見えて、ぞくぞくと興奮が駆け抜けた。

「悪い、テツ」

――――もう、余裕ねえんだ。

そんな台詞が聞こえたか、否か。
黒子が判断するよりも早く突き上げられて、為す術もなくただ喘いだ。
大きな手に掴まれた腰は、痛いくらい。
いつもよりずっと早い段階で奥まで突き上げられるのは呼吸が乱れて苦しいのに、どうしてか気持ちいい。
ぎゅっとバスタオルを握りしめていた手を青峰に向けて伸ばせば、すり、とそこに頬を擦り付けて手のひらにキスをくれた。
ぼろ、と黒子の目から大粒の涙が零れだす。青峰くん、と途切れ途切れに名前を呼べば、涙が伝っていく頬をべろりと舐められた。
まるで大型の獣にそうされているような気分になって、ふと唇が笑みに歪む。

「なあに、笑ってんだ、よッ」
「ッア!ああ、や、ちが…っ」

首筋に噛みつかれて、言葉の先を飲み込む。ぎりぎりと痛いくらいに歯を立てるのは、青峰が興奮しているときの癖だ。
何度も繰り返されるうちに、黒子にも噛みつかれることへの癖がついてしまった。
初めは痛みしかなかったはずなのに、青峰にそうされることがたまらない愉悦をもたらすようになったのだ。
痕がつくほど噛んだそこを、今度はゆるりと舌先でなぞられる。
くすぐったいような、ぞくぞくと性感を煽るようなそれはダイレクトに腰に響いて、黒子の性器からまた蜜を滴らせた。

「ッは、ヨダレ垂らしやがって…!」
「や、あ!あッ、うア、だめ…ッ!!」

気づいた青峰が黒子の性器をまさぐり、ぐちゅぐちゅと痛いくらいに擦りたてる。
青峰を後ろに咥え込んだまま弄ばれるのはあまりに刺激が強くて、黒子は幼い子がいやいやするみたいに頭を振った。
だめ、と待って、を繰り返して青峰にねだるのに、聞いてくれる様子はまるでない。
すっかり蕩けて熟れたアヌスは青峰を歓喜して受け入れ、抜き挿しが速さを増すのにも嬉しそうに吸いついてぢゅぷぢゅぷと泣いている。
黒子だってもう限界が近い。
青峰の腕を掴み、突き上げられる激しさに喘ぎながら、ただ青峰の名前を呼んだ。
舌を差し出せば食らいつかれ、吐息が混じり、唾液が唇の端から零れていくのだって、震えるくらいに気持ちいい。
馬鹿になりそうだ、そう思った。

「ッンン、あ、ァ、ああぁ…ッ」

雨に濡れたせいだろうか。いつもよりずっと青峰の匂いが近い。
吸気に含まれるそれがざわざわと黒子の神経を侵していって、体内に捻じ込まれた熱も相俟って、まるで全部が青峰に支配されているような錯覚を起こす。
このまま、ひとつに溶け合ってしまえればいいのに。
好きで好きでどうしようもなくて、いっそおかしくなりそうなほど。
昇っているのか、それとも墜ちているのか、浮遊感と失墜感が交互に黒子を襲って、ひときわ高い声で青峰を呼ぶ。

「ひあ、アッ、ぁお、みねく、青、みねくん…ッ!」
「…ッく、テツ…!」
「あ、ああ、や、ッッアァ――…!!」

応えるように呼び返してくれた青峰が前立腺を狙って激しく突きたててくるのに、一気に白い光に攫われて、黒子は全身を緊張させてびゅくびゅくと熱を吐き出した。
どっと汗が噴き出して、奥深くまで咥え込んだ青峰をきゅうきゅうと締めつける。
射精を促し、搾り取るような内壁の動きに誘われて、青峰もまた黒子のナカへと白濁を叩きつけた。

* * *



一応の後処理を終え、青峰はバスタオルの上に寝かせたままの黒子に視線を向ける。
タオルはすっかり汚れていて、きっともう使いものにならない。あの黄瀬のことだ、タオルの一枚や二枚すぐに買い替えるだろう。
最後、床を掃除するときにでも有り難く使わせて頂こうと一人決断して、青峰はゆっくりと黒子を抱き起こした。

「テツ…?」

大丈夫か、と問えば、あんまり、と小さく返される。
けれど全身の力を抜いてくたりと青峰に預けてくれる姿は、自分が黒子のそばにいることを許されている確かな証のようで、愛しくて仕方ない。
言葉にして伝えたことがないのは、ただ青峰が漠然と抱えていた、自分と同じだけの気持ちを黒子が返してくれるかどうか、その自信のなさからだった。
まったく臆病なことだと自分で自分を嗤いたくなる。
自信がないなどと、いったいどの口が言うのだろうか。鏡を見て笑い飛ばしてやりたい気分だ。
「気持ち」なんてものは、思っているだけで伝わるような便利なものじゃない。
黒子から好きだと聞きたいのなら、自分から先に伝えるべきだったのだ。
確かめることをしないですっ飛ばして、身体だけ先に手に入れてしまった。
それをここからやり直したいのだと、きちんと彼に伝えなければ。

「テツ、」
「ん…あお、みねく…」

はあ、と甘い吐息を震わせた唇に小さく口づける。
とろとろに蕩けた水色を覆い隠す瞼にひとつ、涙に濡れたまなじりにひとつ、上気した頬にも、またひとつ。
汗ばんで張りつく髪を梳いて、労わるように腰を撫でてやると、ゆっくりと黒子が目を開く。
その水色に映るのがただ一人自分であることに満足を覚えながら、より深く刻みつけるために青峰はそっと囁いた。


「―――――好きだ」


たった一言。
けれど言えなかった一言。
黒子の心に、ちゃんと届いただろうか。

驚いたように目を見開いた黒子をじっと見つめて、もう一度、同じ言葉を繰り返す。
快楽に溶けていた水色がその色を滲ませて、黒子はまるで泣き出すみたいにくしゃりと表情を歪めた。
そんな表情を見られたくなかったのか、黒子が青峰の肩に顔を寄せる。
青峰が背を抱いてやれば、黒子が強い力でしがみつく。
ぎゅうぎゅうと抱きつく黒子をあやすように優しいリズムで背を叩けば、震える声が途切れ途切れに青峰を呼んだ。
テツ、と呼び返すと、


「…き、好きです、ずっと、好きで…ッ」


小さい、けれど確かな声。
たまらなくなって抱きしめる。
ずっとずっと伝えたかった。ずっとずっと聞きたかった。やっと伝えられて、やっと聞くことができた。
好きです、と繰り返す黒子の名前を呼んで、同じ言葉を返して、一度口にしてしまえば何度だって言うことができるのに、軽い言葉じゃないから簡単じゃなかった。
初めの一歩を踏み出せずに飛び越えてしまったことを後悔しないわけじゃないけれど、ようやくまた、ここから始められるのだ。
好きで仕方なくてたまらなくて、大切で愛おしい。
腕の中にすっぽりと収まる小さな身体が、いつだって青峰にあたたかい気持ちをくれる。


「テーツ。顔、見せろ」

ちゃんと顔見せて好きだって言えよ。
そう笑って頭を撫でると、見せられる顔じゃありません、とぐずり鼻を啜る音とともに返された。

「…仕方ねェなあ」

泣きやんだら、もっかいな。
伝えて、ぽんぽんと背を叩くと、こくり頷く感触がある。
いつになく素直な黒子に、回した腕にぎゅうぎゅうと力を込めて、「苦しい」だなんて文句は聞かないふりだ。
こんなに愛おしいおまえが悪いのだからと、青峰はようやく自分のものになった宝物を抱きしめる。


優しく隔絶された世界に二人きり。
雨はまだ、止む気配がない。





バスタオル「解せぬ」