baby baby     06.12.10 07.01.10掲載




目を醒ますと、やけに胸のあたりが重かった。
息苦しさに大きく胸を上下させて、その異変の元を見下ろす。
視界に銀色をとらえて、それが何であるかを理解する前に右の手が突き出されていた。

「いぃ゛……ってぇ!!」

素っ裸で転げ落ちた銀色が、濁点混じりの悲鳴をあげる。
起き抜けで反応が鈍いのは暗殺者としてどうかと思うが、状況が飲み込めないらしいその男は、
打ち付けた頭を右手でかばいながらきょろきょろと辺りを見回した。
それからようやく自分の居場所を悟って、恨めしげな視線をザンザスに向ける。

「んだよぉボス、突き落とすことねぇだろぉ?」

早朝だからか、それとも昨夜のせいか、その声はわずかに掠れている。
寄越された文句をさらりと聞き流し、身を起こして柔らかに沈む枕に背をもたれれば、
圧迫されていた胸のあたりがうっすらと赤くなっているのが目についた。

「う゛お゛ぉいシカトかぁ!!」

朝っぱらからうるさい男だ。
身につける習慣のない、すっかりベッドヘッドの住人になっている腕時計を見遣れば、まだ6時にもなっていない。
眠ったのは確か3時過ぎだ。睡眠の足りない頭は動き出すまでに時間がかかる。

「…うるせぇよ、てめぇがオレの上で寝てるからだろうが」

ようやく低い音に乗せられたのは、小学生の理由付けのような台詞だ。
思考回路の接続の悪さに、ザンザスはひとつ溜息をついた。

だってよぉ。
聞こえた声に視線を上げる。
いつのまにか膝を抱えたらしいスクアーロは、その膝の上に顎を乗せて居心地悪そうに顔を背けた。

「…なんだ」

問えば、ちらりと一度視線を寄越して、諦めるような、自嘲するような荒い溜息。
肺に残った空気をすべて吐き出したようなそれの後に、わずかに頬を赤らめて。

「……ボスの身体、あったけぇからよぉ」

肌が触れるのも久しぶりだったし。
気持ち良かったんだぁ。

言われて己を見返せば、身に付けているのは胸元を大きくあけた絹地のシャツに、
アンダーをつけないおざなりに穿いただけのスラックスだ。
内からも外からも、触り心地は確かに良い。
それに床の上の色素の足りない男は、冷え性を伴った低体温で低血圧だ。
外の気温はもはや冬に近い、そんな季節なら人肌恋しくもなるだろう。
その対象を自分にするあたりが、傲慢の名にふさわしいこの男がやりそうなことだ。
「…なんか言えよぉ」
沈黙に耐え切れなくなったらしいスクアーロが、おずおずとザンザスを見上げる。
それを鼻で笑ってやって、
「可愛い奴だとでも言ってほしかったか」
からかえば、そんなんじゃねぇ、とむきになった反応が返された。
打てば響く、とは、日本の古人はよく言ったものだ。
く、と口元を歪めれば、すぐさまそれを見止めるらしい。

「畜生…」

むす、と視線を反らす、その肩が震えるのに気がついた。
ベッドにいる自分はそうでもないが、暖房も入れていない部屋は冷えている。
絨毯の上とはいえ、素っ裸でいるには季節を勘違いしているだろう。
馬鹿は風邪を引かないというが、どこまで信用できたものかわからない。
またひとつ溜息を零しながら、ザンザスはブランケットの端を持ち上げた。
「あ゛…?」
その意図を図りかねたらしいスクアーロが、わずかに首を傾げる。
「…来ねぇのか」
言葉にしてやると、まるで幽霊でも見たような顔をして、ずり、と一歩分退いた。
失礼な反応だな、と表情には出さず思ってみて、けれど腹に怒りは沸かない。

「う゛お゛ぉいボス、寝ぼけてんのかぁ?」
「寝ぼけてんのはてめぇだ、カス」

風邪ひきてぇなら好きなだけそこにいろ。

続けて、起こしていた身体を再びベッドへと横たえる。
そのまま目を瞑ると、スクアーロの戸惑った気配がゆっくりと近づいてきた。
「ボス…」
かすかに耳に届く程度の呼び声に、瞼を上げる。
ベッドから見上げる銀色の、その頬がわずかに赤らんでいた。
きゅ、と色の変わり始めた唇を噛んで所在なさげにしているのを、促すようにブランケットをめくってやれば、
きし、とわずかにベッドを沈ませて、冷えた細身がその間に滑り込んできた。
思ったとおり、いつも以上に体温が低くなっている。
少しの間向き合ったままでいたスクアーロだったが、やがてくるりとザンザスに背を向けた。
その耳が赤くなっているのに気づいて、後ろから手を伸ばして抱き寄せる。

「う゛お゛…っ…、ボス!?」

途端にあたふたとし始めて、触れる体温がほのかに上がる。
腕で制止してくるのをやんわりと流して、
「うるせぇよ。おとなしくしてろ」
告げれば、ぴたりと抵抗をやめて身をかたくした。
まるで初心な女のようだ。
物珍しさに吐息を緩めれば、それが首筋をくすぐったか、わずかに緊張が解かれた。
相変わらず、鼓動は早いままだったが。

熱を持って汗ばんだ肌は、しっとりと指に馴染むけれど。
こうしてさらりと乾いた肌の触れ心地も悪くない。
いつになく穏やかな気分のまま体勢を整えるように抱き寄せなおして、指通りのいい髪を梳いた。

「……あったけぇ…」

言う声が、とろんと眠気を含んでいる。
冷えた身体に、ベッドの中、睡眠を取ったまま温まっていた体温は心地良いのだろう。
髪を梳く動作も、眠気を喚起する一因なのかもしれない。
単純なところに幼さを残す男に、どこか満足した。

今日は日曜だ。
かかりきりだった面倒なヤマも片付いて、惰眠を貪ったところで渋面を呈する古参もいない。
温まって境目の薄れてきた体温は、ザンザスにも睡魔を連れてきた。
試しに目の前の髪をくい、と引いてみるが、反応は既にないに等しい。
「スクアーロ」
呼んでも、腕に触れた指先がわずかに答えるだけだ。
(人の体温を奪っておいて、いい気なもんだな。)
皮肉をひとつ、諦めるようにくしゃりと銀色を指に絡めて、ザンザスもまた目を閉じた。


その後。

二人が目を醒ますのは、嫉妬を名に冠する忠実な男が、
昼になっても姿の見えない主の身を案じて訪れたその部屋で、
声にならない悲鳴とともに後ろに倒れる頃だった。

fin.



06.12.10 07.01.10掲載
オフのInnocent skyに続く。