寝顔と戦慄     06.10.01 06.10.24掲載




眠る、なんて行為は、
この男には存在しないものだと思っていた。


夜中。
ふいに、だ。
本当に、ふと目が醒めたのだった。

(…何時だ)

部屋の中は明かりひとつ通らない暗さ。
朝でないことだけはわかるが、時間の感覚が還ってこない。
それというのも今日も今日とて好きに貪ってくれた男がいるからだ。
部屋に連れ込まれるなり気を失うまで責め立てられるのは、スクアーロにとってはすでに常になりつつあることだった。

(ぁ゛―――…喉…)

散々に喘いだ喉は乾いてひりついている。
潤してこようかと、身体を起こしかけたときだった。

(…重い?)

感覚の戻ってきた思考のなか、感じたのは腰への違和感。
酷使したから、という理由ではない、明らかな重力が感じられたのだ。
暗殺だなんてドス黒いことをやっているだけあって、闇に目が慣れるのは速い。
ぼんやりと見えてきた部屋の輪郭を眺め、それから己へ視線を落とす。

(………あ゛ぁ゛!?)

手、だ。
己の物ではない、明らかに異なる誰かの手。
スクアーロの背後から、その手は腰を抱きこむような形で回されていた。
(…誰だ。いや、一人しかいねぇが……あ゛あ゛ぁ゛!?)
昨日己を貪ったのは他でもない、ボスだ。上司だ。ザンザスだ。
記憶が間違っていなければ、自分は途中で意識を飛ばしたはずだ。
あの面倒臭がりな男がわざわざ自分を他のベッドへ移すわけがない。
かといって、誰か人を呼ぶような野暮なことはしない男であるから、スクアーロはザンザスの寝室から動かされてはいないはずなのだ。

…と、なれば。

驚愕に眠気は吹っ飛んだものの、今度は別なそれで停止した思考回路。
ギギ、と音がしそうなほど無理矢理に動かして、スクアーロは己に回された手に目を凝らした。
かすかに見えてくるのは、右手の中指。
そこに填められている指輪には、いやというほど見覚えがある。
引き攣りそうな体勢で己の背後へと顔を向けて、今度こそスクアーロはあんぐりと口を開いた。


「ボ、…………ッ!」


そのまま驚きを声にしかけて、がば、と己の口を塞ぐ。
ぐるりと顔を元の方向へ戻して、早鐘を打ち始めた胸元にシーツをたぐり寄せた。

(なななななんで寝てやがんだぁボスつか腰に手とかどこの少女漫画いや寝顔寝顔寝顔!!!)

確かに目にしたのは、こいつと知り合って早ウン年。
何度身体を重ねようとも一度たりとて見ることのなかった、否、
見ることの出来なかったザンザスの寝顔だった。
瞳を閉じているところを見たことがない、というのではないが、寝顔となれば話は別だ。
ヴァリアーの誰も、むしろ世界中のどこを探しても、
この男の寝顔を見たことのある人間が存在するとは思えない。
笑顔は8年ぶりだと抜かしたレヴィでさえも、寝顔を拝んだことはないだろう。

(つーか、寝るんだなぁボスも)

人間として当たり前の行為ではあるのだが。
少なくとも今の今まで、ザンザスからは「眠る」という行為が欠落しているように思っていたのだ。
常であれば抱かれた後は朝まで気を失っているし、気が付くころにはザンザスはとうに部屋にいない。
いたとしてもきっちり制服を着込んで、朝っぱらから酒を片手にソファの上だ。
眠気のひとつすらも見せてくれたことはない。
己が眼で確認したことではあるが、どうにも信じられなくて、スクアーロはそろりと体勢を入れ替えた。
そうして上げた視線の先、映るのはやはりザンザスの寝顔だ。

瞳を伏せると、彼は案外に幼くなる。
眉間の皺は消えないが、睫毛は意外と長い方。
口元はきっちりと閉じられ、寝息は規則正しい。
眼球運動がないから夢は見ていないのだろうが、ずいぶんと深い眠りにあるようだ。
(いびきとか、かいたら爆笑モンだけどなぁ)
失礼な感想をもらしつつ、憎たらしいほど整った造りのそれを存分に眺めて、溜息。
もしも、だ。
もしも自分が気を失っている間、彼がこうして眠っているのだとしたら。
蹴るわ殴るわ叩きつけるわ、非道三昧の彼がこうして眠っているのだとしたら。
(とんだ笑い種だぜぇ、ボス)
きっと自分が起きていることは、彼にとって一生の不覚であるに違いない。
気配で起きそうなものだが、それもない。
もしもそれほどに、彼がいま気を許しているのだとしたら。
知らず、スクアーロは声を殺してくつくつと笑っていた。

(ハ、しっかし珍しいモンが見れた)

確か日本語にあったはずだ。諺だか俳句だか和歌だかなんだか。
早起きはどうたらこうたら。
学の浅いスクアーロにはわからないが。
くすぐられるような、どうにも高揚した気分。
けれどそれが悪くない。
ニヤついた頬が、しばらくは元に戻らなそうだ。
朝になればまたいつものザンザスに戻っているのだろうが。
今がやたらと楽しいから、それでいい。
小さい頃に、欲しかった何かを手に入れたときのような幼い気分。
懐かしい感覚に浸りながら、スクアーロは再び目を閉じた。


(おかげでいい夢が見れそうだぜぇ、クソボス)


その翌日。
「う゛お゛ぉい、ボスの寝顔見たぜぇー」
やたらと機嫌の良かったスクアーロが誰彼構わず言いふらし、ザンザスに鉄拳を食らうことになるのはもう少し先の話。

fin.



06.10.01 06.10.24掲載
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