Cherry Blossom      10.05.12




" ねかはくは はなのもとにて 春しなん "


真新しいスーツに身を包んで、歩き出す頭上には満開の桜である。
自分の始業式などどうでもいいから入学式に列席したいと駄々をこねた弟は、
いま正に保護者席に陣取っているだろう祖父に拳骨を落とされてしょんぼりと肩を落としていた。
今夜は焼き肉だと言ったら即座に機嫌をなおしたあたりが、なんとも現金な話だが。

けれど合格の知らせを受けたとき、本人よりもずっとずっと嬉しそうに、文字どおり飛び上がって喜んでくれたのは他でもない弟だ。
きらきらと目を輝かせて、合格通知を両手で掲げて、そのままゾロの元へと走って行こうとしたのはさすがに恥ずかしくて止めたけれど、やはり嬉しかった。

「やればできるじゃねえか」と大きくてごつい手に似つかわしくない優しさで頭を撫でてくれたスモーカーのところへは、合格通知を貰ったその日に挨拶に行った。
「散々迷惑かけました」と頭を下げたのに、銜え煙草で「悪さしてねェてめェはつまらねえ」と返されて
くすぐったい気分になったのが、なんだかもう遠い日のことのようだ。
ついでに「気をつけろ」と言われた台詞の意味は、訊ねても教えてくれなかったけれど。


す、と大きく息を吸い込む。
今日は晴れて良かった。世界がきらきらと輝いて見える。

(新しい一日、ってのは、やっぱりこうじゃないとなあ)

踏み出す一歩までが新しい気持ちで、どこか気恥ずかしい。
まだ入学式も始まらないうちから、あたりは新入生の呼び込みに必死なサークルの学生たちで賑やかだ。
出店まで出ているのはどういうわけだろう。
いい匂いがして、朝からたんまりと詰め込んできたはずの胃袋が切なくなってしまう。
意識を外すのが大変だ。
長身で人目を惹く、それでなくても高等部から名の知れているエースは、あれよこれよと勧誘のチラシを渡されていた。
どうせならそのりんご飴をひとつくれればいいのになんて思いながら、知った顔にはまたよろしくと笑顔を振りまき、知らない相手にも笑顔でよろしくと挨拶をする。
人好きのするその笑顔に、すでにきゃあきゃあと黄色い声が聞こえていた。

「相変わらずだな」
「シュライヤ!」

のんびりと後ろからかかった声に、今来たのかと振り返る。
一緒にいたずらばかりしていた彼もまた、スーツを来ていると大人びて見えた。
こちらはエースと違ってさほど笑いはしないが、そんなところがまた素敵と、負けず劣らず視線を集めて黄色い歓声を浴びている。
すらりとスタイルの良い、背格好のよく似た二人が並んでいたとあっては、大学部で初めて他校から入学してきた学生たちの関心が専ら寄せられる。
遠巻きの人だかり、といった様子だが、それは屋上から見下ろしても明らかだった。




「おーおー……すげェな、あれのどっちがおまえのお気に入りだ?」

銜え煙草で身を乗り出し、しげしげと門の方を眺めるのは金髪リーゼントの、およそ「教諭」という呼び名が似合わない男だ。

「おれの勘じゃあ、黒髪の人懐っこそうな奴なんだがなァ。どうだ?当たってるか?」
「………うるせェよい」

ふぅ、と煙草の煙を吐き出しながら興味がなさそうに応えた相手へ、男はビンゴ、とにんまり口角を持ち上げる。
これでも長い付き合いで、眠たげな目をした男のポーカーフェイスをすこしは理解できるようになった。

「ああいうカワイコちゃんにゃあよ、とっとと唾つけとかねえと、隣の野郎とかも案外狙ってんじゃねェの?」
「……なにが言いてェんだ、サッチ」

じろりと睨みつけると、おお怖、とサッチがおどけてみせる。
ちっともこたえていない肩をすくめる仕草に溜息をひとつ。
短くなった煙草を携帯灰皿でもみ消すと、男はくるりと向きを変える。

「おい、マルコ?」
「そろそろ行かねェと呼び出しがかかっちまうだろい」

大学部の入学式だ。理事長であるセンゴクも姿を見せる。
彼が来る前には式場へ入っておかないと、後々ねちねちと因縁をつけられても面倒くさい。
だから行くぞと背を向けるマルコを、サッチが慌てて追いかける。

「っとに協調性のねェ野郎だな!コラ待て、おいマルコ!うあっち!!」

もみ消し損ねたらしい煙草をうっかり掴んで騒がしく悲鳴を上げるサッチに、ぽりぽりと頭を掻いてマルコはまた溜息だ。
それにしても、本当に大学部へ入学してくるとは。
運命というものは、案外ご都合主義で出来ているらしい。
無意識に上がる口角を、まさかサッチに気取られたとは思えないが。

「しっかしよォ、どっからどう見ても筋モンにしか見えねェよなァ、おまえ」
「てめェに言われたかねェんだよい」

言い合いながら校舎の中へと姿を消した彼らに、シュライヤとの会話に夢中なエースは気付かない。




「っと、エース。そろそろ行くか、講堂までまだ歩くぞ」
「え、まじで?」
「……相変わらず無計画か、おまえ」
「ぷはは、悪ィ悪ィ!」

ちっとも悪いと思っていなそうなエースの笑顔に、シュライヤもまた毒気を抜かれた顔で「仕方がないな」と笑う。

「こっちだ、ついてこい」
「おう!」

ざわめく周囲を置き去りにして、エースとシュライヤが歩き出す。
エースの足取りは、やはり軽い。


彼に会えたなら開口一番、一体なんと口にしよう。
考えたら心臓が走り出して、かっと頬が熱くなる。

さあどうしよう。
恋は始まったばっかりだ。


fin.


サッチ登場。