ila.      10.01.24




指先が触れ合う、それだけで幸せなのだと気がついたのはいつだったろう。
けれどそれだけでは足りなくて、その先をねだって困らせたのも、一体いつのことだったか。
いつもより少しだけ早い朝。
若いってのはやっぱり罪なことかなと、眠るマルコの上、胸の刺青を指先でなぞりながらエースは緩く笑った。

「……くすぐってェよい」

寝起きの掠れた低い声は、けれど不機嫌ではなく甘さを滲ませている。

「ごめん、起こした?」

すまなそうに小首を傾げてみれば、大きな手がくしゃりと頭を撫でてくれた。
自分相手ではないときの彼の寝起きの機嫌の悪さを知っているからだろうか、起こしてしまったことへの少しの罪悪感とともに、愛されていると自惚れた感情がわいてくる。
きっと自惚れという言葉は、事実愛されているのだとサッチあたりには軽く笑い飛ばされるのだろうけれど。
ぼんやりと眠そうに開いた眼は、窓の外に広がる洗いたての空のような澄んだ薄い青色だ。
光に強くはないその眼をしぱしぱと瞬かせて、覚醒するために擦ろうと動く右手をやんわりと捕える。
何をするんだとエースの意図の知れなさにわずかばかりひそめられた眉に笑って、乾いた唇に触れるだけのキスをした。

「……ずいぶん熱烈な起こし方してくれるよい」

そんな軽口にまたへにゃりと笑って、今度は啄ばむように二、三度キスを繰り返す。
最後にぺろりとマルコの唇をひと舐めして離れようとしたエースの舌を、されるままに任せていたマルコが捕まえる。
いつものように性急ではない、けれどエースの弱いところを知り尽くした舌に好き勝手弄ばれて、唇を離す頃にはエースの息はすっかり上がってしまっていた。

「おはよう、のキスには濃いって、マルコ……」
「おれの寝顔は高いんだよい」
「…………ばか」

恥ずかしいこと言ってんなよと、咎めるエースの声に力はない。
せめてもの仕返しに首筋をがじがじと噛んでやるけれど、マルコは楽しそうに笑うだけだ。
その右手がエースの死角でゆっくりと持ち上がり、朝の冷気にひやりと冷えた指がエースの首筋に触れた。

「ひ……っ」

びくりと身を震わせたエースが首を竦めるのに、マルコはもう一方の手で腰骨のあたりを撫でながらゆっくりと背骨をなぞる。

「や、ちょ、あッ、マルコ……!」
「……あんまり可愛いことしてんじゃねェよい」

ついその気になっちまう、と吐息に乗せたマルコの視線には明らかな情欲が含まれていて、エースは期待にも似た欲求にぞくりと肌が粟立つのを自覚した。

「は……、はっ、あ、んん……っ」

くるりと体勢を入れ替えられて、エースの背はシーツに沈んでいた。
真っ白なシーツは昨夜マルコが張り替えてくれたばかりだというのに、このままではまた替えなければいけない。
自分の手間が増える分には構わないけれど、事の後で動けない自分の代わりに張り替えてくれるのはきっとマルコだろうし、洗濯物の増える仲間には申し訳ないし気恥ずかしいし、替えたばかりのシーツはお日さまの匂いがして気持ちいいけれど、マルコの匂いはしなくて少し淋しいのだ。

「……なに、考えてる?」
「あっ」

ぼんやりと視線をさまよわせたエースを見透かしたように、マルコが鎖骨に噛みついた。
その後をぞろりと舌でなぞられて、びくりと身体が竦む。

「っん、や、マルコ……ッ」
「次、余計なこと考えたら仕置きだよい」
「あっ、ァ……!」

きゅう、と乳首を摘み上げられてその先端に歯を立てられると、痛みとともに身体を支配する高揚に、どうしても腰がひくついてしまう。
いくら薄くカーテンがひかれていても窓から差し込む陽光は明々とそれを照らしてしまって、煽られる羞恥にエースは顔を背けた。
時に大胆に誘ってくる割にはいつまで経っても消えない初心な反応に、マルコはくすりと笑って胸元にひとつキスをする。

「まだ柔らけェみてェだない、エース」
「んっ……、そういう、オッサン臭ェこと……っ、ア!」
「悪ィがオッサンなんだよい」
「ッぁあ……!」

昨夜もマルコを受け入れたばかりのそこは、マルコの指に従順だった。
もどかしくなるほど丁寧に入り口を慣らされて、腰が揺れ出す頃にようやく深いところまで犯される。
長い指でゆっくりと開かれると、すぐにその指に吸いつくように内壁がひくついた。

「ん、あッ」

引き抜かれた指が、とろりと粘性のある液体を絡めてまた挿し込まれる。
じわりと浮く涙を乗せた睫毛を震わせて、エースが身を捩った。


ベッド脇の小さなチェストの引き出しには、知らない誰かに開けられると恥ずかしい秘密が隠されている。
誰が恥ずかしいかと言われればもちろんエースだ。
マルコは開き直ってしまえばそれで構わないが、末っ子のエースはさんざっぱらからかわれるのだ。
一度そのテの店から小さな紙袋を片手に出てきたマルコが目撃されて、次の日のエースは食堂でサッチに散々突っつかれた。
ローションか大人の玩具かはたまた特殊な小道具かと、次から次へとまくし立ててきたサッチをエースは炭にしてやった。
もちろん目撃されたことになど気づいていたマルコは、そんなエースの隣で涼しい顔をしてコーヒーを飲んでいたからたまらない。
そのときは禁欲の刑に処してやったのだが、わずか一週間でエースの方が独り寝に耐えられなくなってしまった。
以来、そのテの店に行くときには絶対に船員の眼に触れないことと、チェストの引き出しには鍵をかけておくことがエースによって義務付けられている。
大人しく従っているマルコを若干不気味に感じているのは、いまのところエースだけの秘密である。


ころん、と枕の横に転がってきた小瓶の中身はもうだいぶ減っていて、横目に見てしまったエースは思わず頬を赤らめた。
当然そんなエースの表情に気づいているマルコに浮かぶのは、実に人の悪そうな笑みだ。

「っとに、その百面相は見てて飽きねェなぃ」
「うるさ……っ」
「ま、いまは善がる顔だけ見せてろよい」
「っこのエロオヤ……ッあ、や、ああっ」
「聞こえねェよい」

両の親指で拡げられたそこへ、ぴたりと押し当てられた熱。
焦れったく腰をすすめられて、じわじわと異なる熱に侵される内壁が餓えて収縮した。
夜にするようにがっついてはいない行為が、やけに気恥ずかしい。
いっそ手荒に揺さぶられてしまった方が羞恥は飛んでしまうのに、まだそうしてくれるつもりはないようだ。

「あ、もう……ッ」

身体の横につかれたマルコの腕に指を絡めてすがって、ねだる。
開かされた脚の間も、すっかりとがった胸の先も、情けなく悦楽に歪んだ表情も、全部その眼に映っているかと思うと耐えがたい。
まだ若いエースには、それを愉しむ余裕などないのだ。
ぎゅう、と眼を瞑って顔を背けるエースに、マルコが苦笑するように吐息を漏らした。

「エース。こっち見ろ」
「やっ……」
「イヤ、じゃねェだろい」

エース、と再び呼ぶその声に、観念した。
そろそろと瞼を上げて見上げる、マルコの姿は厭味なほど男らしい。
エース自身鍛えた方だとは思うけれどまだマルコには敵わないし、その胸に刻まれた覚悟の証は嫌になるほど愛おしい。
彼が眠っていたときに触れたように、エースはその誇りに手を伸ばす。

「も、ちょうだ、い」

ゆるりと指で胸をなぞると、その手をとられて指先に口づけられた。
愛しいものに触れる、そんな表情で幾度か指先を啄ばまれた後、青い瞳と視線が交差する。
直後、食らいつくように唇を奪われて、強引に入り込んできた舌を、拒む術などエースは知らない。

「ッあ、あ、マルコ、マルコ……ッ」

弱いところばかりを容赦なく責められて貪られて、嫌だと泣いても離してはくれなくて、ただ宥めるように絡められた手を必死で握り返す。
行為とは裏腹に名前を呼ぶマルコの声が優しくて甘くて、薄っすらと開けた視界に映されたその表情がやわらかくて、どうしようもなく焦がれる。
この男は自分のものだと、誰に対してでもないのにそう言ってやりたくてたまらない。
衝動に任せるままにマルコを引き寄せて、耳元で好きだとささやいた。
―――――それから先は、もう、覚えていない。





晴れ渡った空を、気持ち良さそうにカモメが飛んでいく。
航路を阻むものもなく、モビー・ディックはその船体で優雅に波を切っていた。
先を急ぐでもないこの日、どこからか香ばしい匂いが漂ってくる。
きっと調理場はフル回転、がやがやと甲板もうるさい、南中近い頃だろうか。
今日も変わらぬ穏やかな一日がそこにある。
まったく平和なことだなと、誰かが海賊らしからぬ台詞を呟いた。

二人仲良く寝坊したエースとマルコの元へ痺れをきらしてやってきたサッチが、
不機嫌爆発の青い炎にこんがりと焼かれてしまうのは、まだ少し先の話である。


fin.


title:baroque
此処に在る。何処にでもあるよ。今を生き 日々積もる幸せ。