at the room      10.01.04




すっかり夜の帳が降りた時分だ。
灯るあかり、揺れる炎がワノ国にはよく似合う。
障子紙を通して見る橙色の優しい光は、エースとマルコにとっては異国情緒たっぷりだ。
通りを右に折れ、見事な竹林を抜けた先に宿はあった。
一階建ての純和風なその宿は広い敷地を真っ白な外壁で囲まれている。
古木の木目美しい表門をくぐると、門の屋根の内側には極彩色の唐模様だ。
一歩踏み入れれば落ち着いた白の玉砂利の庭に黒御影石の飛び石が配され、宿の入り口まで続いている。
背の低い竹づくりの柵に囲われたなかには、石と苔とが織り成す市松模様を見下ろして、大きな一本松がそびえている。
とびきりの宿、とは言っていたが、どう考えても一見さんお断りの老舗の造りだ。
一体どういう繋がりなのだと、マルコは知らず眉を寄せた。

一方のエースはといえば、ワノ国が初めてなせいもあるのか見るものすべてが珍しいようで、きらきらと瞳を輝かせてはあちらこちらへ忙しなく視線を動かしている。
……その顔が見られただけでも、良しとしようか。

「エース、足元気をつけろよい」

言ったそばから、つん、と足をとられるエースの腕を支えてやって、宿の入り口へと向かう。
格子づくりの戸がからりと内側から開かれ、初老の女性がお待ちしておりましたと丁寧に腰を折ってくれた。
その顔が、どこかで目にした顔である。

「小間物屋の姐さんに紹介してもらったんだがねい」
「はい、姉からよくよく聞かされております。離れをご用意させて頂きましたので、どうぞこちらへ」
「ああ、それで見た顔だと思ったわけかい」
「ふふ、歳は離れておりますが、よく似ていると言って頂けます。さ、お脚元にお気をつけて」


案内される間も、作り込まれた庭が目を楽しませてくれる。
置き石ひとつとっても、すべてが違う表情だ。
鹿威しに針葉樹、竹垣に石灯籠。
贅を尽くしたとは、正にこのことだろうか。

からからと、静かな水音を絡ませながら水車が回っている。
どこから流れてくるのかその水の注ぎ口は、青銅でできた龍の形だ。
広い敷地の、更に奥まったその場所に離れはあった。
母屋までは、だいぶ遠い。
案内はここまででいいと言ったマルコに鍵を手渡しながら、必要なものがあればすぐに届けさせると伝えてくれる。
夕食はいらないと言えば、朝食の時間を訊ねられた。

「呑み明かすつもりでいるから、起きたら連絡するよい」
「かしこまりました。いつでもおとり頂けるよう、ご用意してお待ちしております」

……それではどうぞ、ごゆるりと。





いぐさのにおいが、ふわりと鼻に届く。嗅ぎ慣れないにおいだ。
玄関にさえ贅が凝らされているのだが、そんなものには見向きもせずに大理石のたたきにぽいと下駄を脱ぎ捨てて、エースはさっさと奥へ上がってしまった。
やれやれと肩をすくめたマルコが、下駄を揃えてその後を追う。
冬場の大理石は冷えそうなものだが、風の通りを的確に読んだその場所に置かれた火鉢のおかげで、室内はほどよく暖かい。

「マルコ、部屋ん中もすっげェよ!」

はしゃいだ声が聞こえて、マルコは思わず苦笑する。
上がり込んだ先では、座り込んだエースがなにやらいじっていた。


見るものすべてが、新しい。
沸々とわいてくる好奇心を、どうもエースには抑えられない。
漆塗りの上等な茶卓に伏せられた鮮やかな朱色の杯は、返してみれば上品に艶を消した金色だった。
すぐ横に置かれたワノ国の酒には、贅沢に金箔が沈んでいる。
いたずらにくるくると回してみれば、透き通った酒のなかで金が舞い、揺らめく炎の灯りを受けてきらきらと輝いた。
子供の頃に弟と散々引っ繰り返したスノウ・ドームも綺麗だったけれど、これには敵わないんじゃないかと思う。
ほう、と思わず溜息をついた。

「エース」

呼ばれて振り向くと、障子にもたれたマルコが庭へと続く戸を開け放っていた。
座ったままずりずりと膝を擦るようにしてその傍まで移動すると、エースは大きく目を見開いた。

「う、わぁ……」

石と、菖蒲。
きらきらと月光を反射する細かな砂には、波の模様。
その砂に落ちる、石の影と松明の炎の美しい調和。
ところどころに薄っすらと積もった雪が、また幻想的だ。

「枯山水、ってやつだなぃ」
「カレ……?」
「ワノ国独特の庭だよい」
「へえ……な、あの花、アイリスだよな?」
「ワノ国じゃ菖蒲って呼ぶらしいけどなぃ」
「アヤメ……アヤメか、うん、綺麗な響きだ」

ワノ国ってすげェな。
そう言って目を閉じると、エースは冬の凛と澄んだ空気を思いきり胸に吸い込む。
目を開ければ飛び込んでくる白と黒のコントラスト美しい庭と、瑠璃色をした夜空に浮かぶ蜂蜜色のまんまるい月と、彩るように輝く銀の星に、吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。


「……ずいぶん気に入ったみてェで、なによりだよい」
「……うん。連れてきてくれてありがとう、マルコ」
「礼ならあの姐さんと、船追い出してくれたあいつらに伝えてやれよい」
「もちろん感謝してるけどさ。おれはマルコにありがとうって言いてーの!」
「………そうかい」

ふ、と柔らかく笑った表情に、思わず見惚れる。
滅多に見せてくれない表情だ。
今日一番のプレゼントかもしれないとひっそり頬を赤らめるところへ、すい、とマルコの手が伸びる。
その手に促されて立ち上がると、ふわりと静かに抱きしめられた。
思いがけない抱擁に目を見開くよりも先に、小さく、優しく、耳に唇を寄せられる。


「……おまえが生まれてきてくれて、おれは嬉しい、エース」


ありがとうと囁かれて、じわりと滲んだ涙が零れなかったのは、たぶん奇跡だ。

「……ず、りぃよ、マルコ……」

力なく呟いた、その声はすでに涙で揺れていたけれど。
ぎゅうっと背に腕を回してしがみついて、ああ、たぶん着物に皺を作ってしまった。
けれどエースを甘やかすマルコの腕はそんなことを咎めたりはしなくて、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

「……大人はずるいもんだろい」

知ってて惚れたんじゃねェのかと、茶化すような声が優しい。
その言葉にふふ、と笑って、エースは顔を上げる。

「自惚れんなよ、オッサン」
「言ってろクソガキ」
「ガキじゃねェって」
「十分ガキ――……」

マルコの言葉が遮られたのは、エースの唇がいたずらしたからだ。

「……ガキじゃ、こんなことしねェだろ」
「……舌も入れねェとこがガキだい」
「そこはほら、大人からしてくれねェと」

な?と。
そう言って笑う、口づけをせがむコドモは相変わらずの性質の悪さで、
その舌をゆっくりと絡め取りながら、溺れちまえとマルコは笑った。


fin.


残りの二つは大人の時間です。