Buenos dias !      09.12.12 10.01.02掲載




あの一番隊隊長殿が女を連れ込んだらしい、と。
今日も平和な白ひげ海賊団の朝食の席で、まことしやかに囁かれていた。

「ありえねェだろ、マルコ隊長に限ってよ」
「でも本当に、一番隊の奴が確かに聞いたって……ほら、あそこにいるあいつだよ」
「おれもそれ聞いた!ちょっとハスキーで低かったけど、色っぺェ声だったって話だぜ!」

数日前から、とある夏島に停泊しているモビー・ディック号である。
最初の夜こそ総出の宴を催したが、二日目からは各々陸地に上がって思い思いの夜を過ごしていた。
その島の酒を片っ端からあおる者、賭博に興じる者、あるいは女を求める者。
騒ぎさえ起こさなければ、どう過ごそうとそれぞれの勝手だった。
そうしてクルー達が次々と船を降りていくなか、事務仕事が片付かないからと宴の夜から他は部屋に籠りきりだったのが、他でもない一番隊隊長のマルコである。
なにかと仲が良く世話焼きでもあるジョズが手伝いをしていたようだが、マルコにしか決裁の出来ない案件も多分にあったため、 三日目の夜を越えたあたりでひとまずお役御免になったと聞く。
問題はマルコが一人になった四日目の夜、つまるところ昨日の晩のことだ。

隊長を残して遊び呆けているのは申し訳ないからと、一番隊隊員の一人が夜中こっそり船に戻ったらしい。
マルコの部屋の窓にはカーテンが引かれていたが、ぼんやりと灯りが照らしていたのでまだ起きて仕事をしているのだろうと、コーヒーを運んで行ったようだ。
気配に敏いマルコであるが、きっと船番のフォローも兼ねて船に残っているのだろう彼に余計な気を遣わせてはと気配を殺し、足音まで極力消して訪ねて行った。
―――……のだが、どうやらそれが災いしたらしい。
どうも話し声が聞こえるので、ジョズが戻って手伝っているのかと思ったようだ。
用意したコーヒーはひとつきり、どうせなら淹れ直してふたつ持ってこようかとドアに耳を当ててみた、ところ。


(――……ッァ、あ……っ)
(声。あんまり、出さねェ方がいいんじゃねェかい)
(んっ……、何、)
(明日、喉痛ェって騒ぐのおまえだろい)
(ば……っ、か、ッあ、ア!)


常よりも低い、けれど柔らかいトーンのマルコの声と、艶っぽく掠れた睦み事の相手の声。
聞いてしまった不運な隊員は、コーヒーが零れるのも構わず顔を真っ赤にして走り去った、らしい。
中を覗くくらいの根性見せろと散々からかわれたらしいが、実際のところそれを実行できるクルーなど皆無だろう。
天下の一番隊隊長殿だ。
きっとたちまち燃やされてしまう。

陸に着いた後、女を買うのはマルコも同じだった。
行く先々の島で女の方から勝手に寄ってきては一夜限りを愉しんでいたはずだ。
島で一番上等な女がすっかり骨抜きになっただとか、一度に三人ばかりとしけ込んで天国を見せてやっただとか、そんな下世話な武勇伝が絶えない。
しかし朝帰りはしても、ただの一度たりとて船にまで持ち帰ったことはないと聞く。
男との別れを惜しんで船に乗り込んできた度胸がある女だとか、あるいはもともと海賊やら海軍だった女を宿へ連れ込んで愉しんだのち、そのまま連れ添って白ひげに忠誠を誓うクルーがいたことにはいたが。
マルコの女との付き合い方は実にドライで、「隊長」であることとプライベートの時間とは完全に分けていたはずだ。
まさか、そんな彼に限って。けれど。
今度こそはもしかすると、もしかしてしまう、のだろうか。



「あのマルコ隊長が持ち帰るなんてよ、どんなイイ女だよ」
「あの人ならよりどりみどりだろ、それをよ」
「噂に聞く、海賊女帝みてェな上玉なんじゃねェか」
「っくー、一目でいいから見てみてェなァ!」
「なにを見てみてェって?」
「うわっ、マ、マルコ隊長!」
「おう。朝から寄ってたかって、なんの噂話だい」

突然のマルコの登場に、食堂がざわりとざわめいた。
それはそうだ。まさか持ち切りの噂の相手が臨場してしまうとは。
このところ食事さえ部屋で摂っていたマルコのこと、今日もきっと食堂へ顔を出すことはないのだろうと誰もが油断していた。
でなければこんな危ない会話、船から遠く離れた酒場のビップルームくらいでしか出来そうにない。

「あ……あ、なんでもねェんすよ!あいつが町でイイ女見かけたって言うもんですから!」
「そうそう!すっげェ色っぺェ女だったらしくて、」
「へェ……、そうかい」

ちらりと、マルコの澄んだ青い視線が指差された隊員へと移る。
視線が合った途端、隊員はぴきりと固まった。


「マァルコォ!」


つ、と隊員のこめかみから冷や汗が垂れる、その直前だ。
騒々しく食堂のドアをばたんと開けて、ぴんぴんと寝癖を立たせたエースが飛びこんできた。
その声が少し、いつもより掠れている。

「なんだ、起きれたのかよい」
「誰だよ!喉痛ェって言ってんのに放っぽって行きやがったの!」
「だーから昨夜忠告したろい。……喉痛ェって割にはでけェ声だな相変わらず」
「るっせェ!水!」
「自分で貰って来いよい。ああ、おまえの好きなピカタが出来たてだったみたいだよい」
「え、ほんとか!?行ってくる!」

今の今まで吊り上げていた眦が、ぱ、と輝いたかと思うと、直後エースは厨房へと走っていた。
「なァそれちょーだい、フライパンごとちょーだい!」とねだる声が聞こえてくる。まるで嵐だ。
全部はやれない、と至極真っ当な意見で対抗するコック相手に、エースは徹底抗戦の構えである。
その後ろ姿に視線を向けて、マルコがぽつり、

「……まったく現金な奴だよい」

呟いたかと思うと、相変わらずのゆったりとした足取りで歩き始めた。
なんら変わらない朝の風景、ただのじゃれ合い、のはずなのだが、今日は少々雲行きが怪しい。
今しがたエースとマルコの会話を耳にした食堂の面々は、一様に顔を見合わせている。

一番隊の隊員が聞いてしまったという睦み事と。
いまの会話の内容には、なにか共通点がなかったか。
マルコの口からは確かに「昨夜」という言葉が、エースからは「喉が痛い」という言葉が。
……いったい、どういう。

自分たちはなにか、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないだろうか。
薄っすらと悟り始めた中で、だらだらと冷や汗の止まらない男が一人。
他でもない、噂をばらまいた男である。


ぺたん。


いささか間の抜けた音が、男の背後で鳴った。
聞き慣れたそれは間違いなく、マルコのサンダルが立てる音だ。
件の一番隊隊員の肩を、マルコが後ろからぽんと叩いた。
男の肩が、いっそ哀れなほどびくりと跳ねる。


「……ま、そういうことだい」


次に出歯亀したら、容赦しねェ。
ふたつめの台詞は、耳元で言い聞かせるように。
肩のあたりがじりじりと焦げるような気さえしたのは、放たれた覇気混じりの殺気のせいだろうか。
食堂はすっかり静まり返って、エースとコックのやりとりだけが聞こえてくる。
マルコの手が肩から離れると同時、男の身体がぐらりと傾いだ。

「お、おいっ」

慌てて隣に座っていたクルーが手を伸ばし、床へ落ちそうな身体を支える。
大丈夫かと顔を覗き込んだ直後、仕方がない、というように彼は溜息を吐いた。
それを見て、周りにいたクルーがまた声をかける。

「おい、どうし……」
「どうもこうもねェって。見ろよ」
「……あーあー。仕方ねェな、あれは怖かったもんな」
「誰か医務室に運んでやれよ」
「馬鹿言え、ドクターに追い出されて終わりだろ」
「んじゃ放っとくか」
「そうだな」

硬直した男の身体を、ふたつみっつくっつけた椅子の上に横たえる。
お情け程度に誰かの上着もかけてやって、再び歓談に戻った。
今日は彼が一番不幸だったなと、テーブルについた男たちは口々に言う。
それから、今後は夜に一番隊隊長の部屋を訪れることだけはやめておこう、とも。
横目にとらえる視線の先では、コックに勝利したらしいエースがピカタを口いっぱい頬張っている。
それを横からちょいちょいとつつきながら呆れた様子で、けれど先ほど見せた殺気が嘘だったかのような柔らかい表情のマルコが見守っている。
ごちそうさまですと、呟いたのは誰だったろう。


「おまえ、ほんとにツイてなかったな」


椅子の上、ぴくりとも動かない男を笑う。
彼は今日人生で初めて、恐怖で失神したのだった。


fin.........?(R-18)


マルエーの日記念の初マルエー。
09.12.12 ブログ掲載 10.01.02 加筆修正up