スロウリィ、スロウリィ      09.11.26



※高校生キッド×大学生ロー パロ注意。
微妙にPENICILLIN設定。つまるところでろ甘です。





何がどうってことはないだ、あの馬鹿。
ばたばたと耳元を駆け抜けていく風がうるさい。
ヘルメットを被っていないから、いつも通る交番の前は避けて回り道だ。
冬の刺すような空気が無防備な頬に痛い。
けれどそれ以上に心臓が早鐘を打っている。
ぎり、と下唇を噛んだ。


<スロウリィ、スロウリィ>


電話が入ったのは、昼休みを終える少し前のことだった。
五限に向けてうつらうつらと船を漕ぎ始めていたキッドのポケットで携帯が震えた。
無精のキッドは番号やアドレスを登録している方が珍しく、見覚えのない番号からのコールなどしょっちゅうである。
その日ディスプレイに表示されたのは「ペンギン」の4文字で、珍しい相手からかかってきたものだと通話ボタンを押せば、
あの冷静な声が告げたのは「おまえの恋人が倒れた」と、実に簡潔かつ有効的にキッドの眼を醒ましてくれる一言だった。

朝から調子が悪そうにしていたのは知っていたが、本人が平気だと言うので後ろ髪を引かれるようにしながらキッドはローのマンションを後にしていた。
一緒にマンションの下まで出てきたときにはローもまだ笑っていたくらいだし、いってらっしゃいにキスは付き物だろうと
おどける余裕もあったくらいだから、今日一日は様子を見るかと油断していた。
あの男の具合が急変することなど珍しくもないはずなのに、まったく失態である。
ベッドに縛り付けておくんだったと遅い後悔に苦い思いを飲み下しながら、キッドはローのマンションの駐車場へとバイクを滑り込ませた。


「トラファルガー!」

玄関で靴を脱ぎ捨て、奥の寝室へと飛び込む。
ようやくエアコンが動き出したところなのか、部屋の中はまだ寒い。
見慣れたダブルベッドにはこんもりと山が作られていて、その横に細身の男が立っていた。

「ペンギン……」
「早かったな。ロー、ほら、離せ。おれはもうお役御免だ」

くしゃりと髪を撫でてやるらしい、その裾をローの細い指が捕まえていた。
こんなときに醜い話だが、ちりりと胸の奥が灼かれた気がしてキッドはひとつ息を吐いた。

「ユ……、」

小さく掠れたローの声がして、傍に寄る。
ペンギンと入れ替わるようにベッドの横で立て膝をつくと、もふもふと埋もれるような布団の間からローが顔を覗かせた。
熱が高いのだろうか。ぼんやりと焦点を結ばない視線がキッドを撫でる。
そろりと額にかかる髪を指で梳くと、触れる体温はやはりだいぶ熱かった。

「トラ……」
「……顔。真っ赤だな、ゆーすたすや……」

ふにゃりと笑う、その声にも力がないくせに、なにか一言でも人をからかわねば気が済まない性質のようだ。
はぁ、と呆れた溜息ひとつ、キッドはこつりと中指一本でローを小突いた。

「てめェな……、仕方ねェだろ、ノーヘルだったんだよ。つーか、てめェのがよっぽど赤ェ」

右手で額を覆い、左手で頬を撫でてやると、外気で冷えた指が心地良いのかまるで猫のようにローが瞳を細めた。

「……少し、熱が高い。必要なら氷を買ってくるが」

そう切り出してくれたペンギンを振り返る。
車のキーを取り出す彼に、キッドは平気だと首を横に振った。

「ああ、いや、いいんだ。冷却シート買い置きしてるし、氷も来るついでに買ってきた」
「……そうか、用意がいいな。なら、おれは帰るぞ。なにかあったら連絡しろ、これでも医学生だからな」
「おう。こいつ運んできてくれて助かった。礼言っとく、悪かったな」
「構わんさ。ガキの頃からの付き合いだ、慣れてる」
「そうか。ああ、忘れてた。キラーが今度、メシでもどうかってよ」
「……大人をからかうなと、そう言っとけ」
「は、あんたも大概素直じゃねェな」

ぎろりと険のこもった視線ひとつ。
キッドの言葉には返事をしないまま、ペンギンはローに一言「ゆっくり休め」と言い置いて帰って行った。
扉の鍵を閉めに行くついでに冷却シートを取って寝室に戻ると、寝返りをうったのかうつ伏せたローが、
ストローを刺したペットボトルからスポーツドリンクを口にしていた。

「トラファルガー、これ、シート。食欲ねェだろうが、メシつくる。それとも果物のがいいか?薬飲めねェだろ」
「いら……」
「いらねェっつったら座薬挿すぞ」
「……フフ……、言うようになったじゃねェか、ユースタス屋……」

ストローを口から離して振り返りざま、ローが笑う。
弧を描くその唇も、いつもよりずっと赤い気がする。
一瞬どきりとしたキッドだが、振り払うように眼を閉じて溜息をつくと、ぴりぴりとフィルムを剥がしてローの額に冷却シートを貼ってやった。
気持ちよさそうに、ローが枕に頬をうずめる。

「りんごか?それともヨーグルトか?粥は食いたくねェんだろ?」

布団を肩まで引き上げて、ついでに白くまのぬいぐるみを横に侍らせてやるサービスぶりに、ローはやわらかく頬を緩ませた。

「甲斐甲斐しくて涙が出るなァ、ユースタス屋」
「るせェよ。調子悪ィときぐれェ素直に甘えてろ」

この天の邪鬼。
言い捨てるにはそぐわない声音が、耳にくすぐったい。
調子が悪いときでなくても甘やかされてばかりだというのに、この男はこれ以上何をどうしたいのだろうかと本気で思う。
甘やかすなと言ってみたところで、男には甘やかしている自覚など皆無だろうから意味がない。

……本当に。本当にと、ローは思うのだ。
愛しくて仕方がないというのは、こういうことを言うのだろうか。
年下相手に純な恋愛なんてものをするのはこれが初めてで、正直勝手が分からない。

「ユースタス屋」
「あァ?食いたいもん決まったか」
「りんご」
「りんごな。ちょっと待ってろ、いま……」
「その前にキス」

言って袖を引くと、きょとりと目をまるくしたキッドが振り返る。

「……てめェ、熱でもあんじゃねェのか」
「熱があるからこうしてベッドで大人しくしてるんだろ」

でなきゃとっくに押し倒してる。
そんな徒な台詞を、熱のせいで浮かされた吐息に乗せた。
ぴきりと、キッドが固まっている。滅多に見せようとはしない、年相応に戸惑った表情だ。
笑いだしたくなったけれど、ローは口角を上げるに留めた。
別に、怒らせたいわけではないのだ。
好きな相手の困った顔が見たいというのは、残念なことに生涯を通して有効なエゴであるらしい。
それも、この年下の恋人を相手にして初めて知った。

「ユースタス屋」

再び呼んで袖を引くと、キッドがはっとした様子でローを馬鹿かと罵った。

「離せてめェ、りんご食いてェんだろ」
「おまえはおれに薬飲ませたいんだろ」
「飲まないで辛ェの誰だと思ってんだこの馬鹿!」
「別に、辛ェのも嫌いじゃねェよ、おまえとヤッた後みたいで興奮する」
「てめ、」
「野暮ばっか言うなよ、ガキ」
「ッ、誰が」

ガキだ!
そう叫んだキッドがローの手首を掴んで、ベッドに仰向けに押し倒す。
その拍子にペットボトルが床に落ちて、フローリングに甘い匂いの液体が広がった。

「あーあ。ちゃんと拭けよ、ユースタス屋」
「誰のせいだと思ってんだ馬鹿野郎」
「フフ、おまえが煮え切ってくれないからだろ、……ほら、」


なァ、はやく。


ねだる唇は意地の悪そうな三日月で、覗く舌が卑猥に赤い。
ぐらりと視界が傾いだ気がするのはたぶん本当に気のせいで、キッドにまで熱があるわけではないはずなのだ。

ひとつふたつと、深呼吸。
心臓がばくばくとうるさいのはバイクを走らせてきたせいで、冷えていたはずの指先が熱いのはローの手首から熱を奪っているせいだ。
他に理由なんかない。あってたまるか。そう思うのに。


眼下で笑う病人に、キッドは勝てる気がしなかった。


fin.


書いといてなんですが、鳥肌立ってすみませんでした。