※鰐が元2番隊隊長だったらという捏造のもとに妄想に妄想を重ねて歪曲したものですのでものすごく注意。
人気のない甲板の上、月明かりに照らされて砂の粒子が集まっていく。
さらさらと風に流れ、音もなく、ただ静かに。
やがてそれは人の形を為し、コートをはおった男へと姿を変えた。
コートが翻り、ゆらと紫煙が燻る。
甘い、後をひくその薫りにすっと目を細めて、男はこつりと一歩踏み出した。
「なんだ、誰かと思えば……親父の寝首でもかきにきたのかい」
二歩目を踏み出すよりも早くかけられたその声に、男はぴくりと柳眉を寄せる。
心臓の真裏にあてられた銃は、本来、男が恐れる必要もないものだ。
けれどこの銃だけは恐れなければならないことを知っている。
能力者にとって天敵である海楼石、その弾丸。更には覇気を使う相手だ。
その銃口から放たれる弾丸は、容易く己を傷つける。
「……今日の見張りはてめェか、ついてねェ」
葉巻を咥えたその唇から響いたのは、テノールと呼ぶにはすこし低い、甘さのないバリトンだ。
ぎろりと向けられる視線は険しく、気の弱い者なら卒倒しそうなほど。
それを軽く受け流し、紅をひいた唇を薄く笑みの形に引き上げる。
気流しただけの露わな胸もと、その和装に似合わず銃を携えた男は、名をイゾウと言った。
「久しぶりだってのに、相変わらずツレないねえ……すこしだけ、夜這いも期待したのに」
「相変わらずその趣味の悪さは変わってねェのか」
「フフ、そう自分を卑下するもんじゃないよクロコダイル。おまえさんは十分魅力的だ」
いまも、昔も。
含みを持たせたイゾウの言葉に、クロコダイルはますます不機嫌に眉を寄せた。
昔―――……かつて、この船に乗り、同じ世界を見ていたころ。
そのころ自分が務めていた隊の長は、いまだに欠番であると聞く。
どこで、あの偉大な男と道を違えたのだったか。
一方的に背を向けたいまでも、あの男はクロコダイルのなかでただひとつ執着するものだ。
挑んで、挑んで、挑み続けて、それでも敵うことのなかったただ一人。
最後の最後まで、自分は屈辱のうちに生かされた。
無意識に拳を握りしめ、宝石の付いた指輪が擦れてきりと音を立てる。
七武海などという、政府の犬と呼ばれる座に自ら腰を下ろしたのは、他でもない、ただあの男と反目する理由が欲しかったからだ。
あの男―――……四皇、白ひげと拮抗するためにつくられた組織。
そこに身を置くことで、自らへの戒めを持ちたくもあった。
ともすればこうして、敵地と知っていて訪れてしまうような、己の浮ついた心に。
やはり今夜、ここに降り立ってしまったのは間違いだった。
すこしだけ、むしゃくしゃした気分だったのだ。
「世界平和のため」と題したつまらない会議を終え、己の野望のために銀を買って帰途に着く途中。
忌々しい男に勝手を働かれて、いいように弄ばれた身体は多方面に燻ぶる熱を残していた。
女を抱くのでも、酒を呑むのでもごまかせそうにない熱から、あの男なら解放してくれるのではないかと思ってしまった。
いまでも変わらず豪快に眠っているのだろうその男の、ただ呼吸をする姿だけでも目にすることができたなら。
きっとこの熱は冷めるのではないかと、そんな馬鹿なことを考えた。
愚かな話だ。
自ら棄てたはずのものを、いまでもまだ追いかけている。
眠れない夜があるくらいには、この胸に深く、刻まれている。
「溜息をつくのも、色っぽいんだがねェ……」
くすと苦笑混じりに聞こえた台詞に、クロコダイルははっと意識を戻した。
存在を排除されていたことに不満を言うでもなく、イゾウは仕方がなさそうに笑った。
諦めるでも、皮肉るでもないその笑みの形に、クロコダイルはざわりと居心地の悪さを覚える。
このイゾウという男は、その優雅な物腰と所作のなかに、本音を包み隠す術を知っている。
まだ「仲間」と呼んだころから、一度たりとて彼の胸のうちを悟れたことはない。
「誰に向けた溜息なのかくらいは、教えてくれないか」
「……なんの話だ」
探るような視線から逃れ、ありきたりに口にすれば、ちりとわずかに空気が緊張した。
イゾウが、ほんのりと殺気を混じらせたからだ。
なにに苛立ったのかは知らない。
だがなにか、そう、気に入らないことがあったらしい。
「許してるんだろ?同じ七武海の、あいつには」
眉目麗しい和装の男に似合わず、卑らしく細められた瞳と、ひそめられた声。
その言葉の意味するところを理解するよりも先に、本能的にクロコダイルの腕が動いた。
ざらりと砂が流れ、イゾウの喉もとに突き立てようとした鉤爪が、彼の持つ銃に阻まれて硬質な音を立てる。
「てめェ……そんなに乾涸びてェか」
「安い挑発に乗るのはらしくないねえ、クロコダイル。そんなにあいつが大事かい」
「なにふざけたことを抜かしやがる……!」
クロコダイルの脳裏を過ったのは、若いころからなにかと因縁のある派手な男だ。
正気の沙汰とは思えないピンクの羽根コートに、趣味の悪い形をしたサングラス。
だらりと卑猥な舌を見せびらかして、まるで奪うようにクロコダイルに勝手を働く男。
己に宝飾品を貢ぎ、時に嫌がらせのように薔薇の花を送りつけ、似合わない口説き文句を吐いていく、腹の読めない相手だ。
なんの冗談だったか肌を重ねたときから、ずるずると不毛な関係が続いている。
それをまるでなにか、約束でも交わした相手のように言われるのは我慢がならない。
「そうやって怒った顔も魅力的だって、おまえさん、気づいてるかクロコダイル」
「てめェも正気とは思えねェな」
「あんまり嫌ってくれるなよ、傷つくだろ……まったく、あのときだったらおれのものに出来ただろうに……、なんだって出て行っちまったんだかねえ」
「……おれは誰にも靡かねェ」
「は、手厳しい」
これだから海賊ってのは、と自らを棚に上げた台詞を吐いて、イゾウは銃を引いた。
ぎりぎりと力が込められ、拮抗していたそこを急に脱力されたせいで、思わずクロコダイルがかくりとぐらつく。
その隙をまさか、見逃してくれるような男ではない。
一歩踏み出して堪えようとしたクロコダイルの唇を、イゾウの唇がかすめていく。
「ッ、てめェッ」
「はは!キスくらい挨拶のうちだろ、クロコダイル!」
儲けた、と嘯く態度がまた勘に障る。
わずかに移った紅をぐいと片手で拭き取って険のこもった視線を向けると、イゾウは自分の唇を舌でぺろりとなぞって言った。
「そのうち、おまえさんのベッドに忍び込んでやるさ」
楽しみにしていてくれと、まったく、昔からその相貌に似合わず下品なことを口にする男だ。
今日は回想することが多過ぎると、興を殺がれたクロコダイルが嘆息する。
人のペースを崩すのが得意な男を相手に、これ以上やり取りを交わして神経を削る必要はない。
寝床に帰って、きついブランデーで一杯やりたいところだ。
踵を返したクロコダイルに、イゾウは後ろから声をかけた。
「ベッドでは、その鉤爪外してくれよ」
派手な引っ掻き傷がつきそうだと笑う彼に、クロコダイルは葉巻の煙を吐き出した。
「……砂になりたきゃあ、勝手にしろ」
言って、ぽいと葉巻を投げ捨てると、クロコダイルは再び砂に姿を変えて甲板から姿を消した。
さらりと砂が風に流れて視界が開けるころには、そこにはなにも残らない。
後に残る静寂に嘆息するのは、今度はイゾウの番だった。
「……なんだって、あんな風になっちまったんだか……」
逃げる獲物を追いかけるのは雄の本能だと、どうしてわからない。
そう物騒な言葉を夜気に混じらせながら、まだ燻ぶる葉巻をひょいと指先で拾い上げた。
す、と戯れに吸ってみたそれは、かすめた唇と同じ薫りがして、
「……似合わないねェ」
ぽつり、零すと同時。
イゾウの手の中で、葉巻の折れる音がした。
fin.
ドフ→鰐←イゾウで、鰐→親父。なにこれ!