2013.01.29  お食事中はお静かに。
冬季名物青黒だんご湯あたりには注意しましょう。の続きです。


ふわりと鼻をくすぐる料理の匂い。
育ち盛りの男子高生御一行、それもバスケ部とあっては揃いも揃ってよく食べるだろう。
はじめに宿側が提示した量が頼りの料理の内容には赤司が文句をつけて、和洋中各種取り揃え、更には栄養バランスまで考えられたバイキングが本日の夕食であった。
山と盛られた数々の品を前にして、目を輝かせたのは一番に火神である。
自分の腹には足りないだろうと割高な売店で食糧を買い込む覚悟はしていたのだが、これなら懐を痛めずに済みそうだ。
腹いっぱい食べてとっとと寝てしまおう、なんだか嫌な予感がする。
野性を発揮するのはなにも試合会場だけに限らない火神は一人腹に決めると、早々に料理の山へと向かって行った。

「やっべ、ちょー美味そうな匂いする!ほらほら真ちゃん、早く席行こうぜ!」
「あまり急かすんじゃないのだよ」
「だーってほら、見ろよあれ!火神の盛ってる量!とっとと行かねえと食いっぱぐれるって!」

次から次へと腹に溜まりそうなものをチョイスしては山盛り皿に盛っていく火神を指差して、高尾がぐいぐいと緑間の腕を引っ張る。
溜息を吐きながら好きにさせている緑間は、こう見えて案外付き合いが良い。
ひとつ、またひとつと馴染みや中の良い者同士で埋まっていく席は賑わいを増し、食堂さながらの様相を呈していた。

「ぶっは!火神相変わらずすげえ量!なーなー見ろよ水戸部、オレ真似できねえ!」
「とりあえず目についたモン全部持ってきた…です」
「ったく、しゃーねーな。あんま旅館の人泣かせんじゃねえぞ」
「うっす」
「火神はすごいな〜、思春期だな!」
「それを言うなら成長期でしょバカ鉄平」

学年関係なく仲の良い誠凛は一番大きなテーブルを囲んでわいわいと食事を楽しむようだ。
一年よりも先に二年連中に囲まれるあたりが大柄ながら弟気質の火神らしい。
もぐもぐと頬いっぱいに食べ物を詰め込んで、三皿目に手を伸ばそうかという頃。
まるで掃除機みたいに吸い込まれていくのを面白がって、小金井が自分の皿からもせっせと火神に給仕している。
その横から減っていく小金井の皿を気にして水戸部が追加を持ってくるという、妙な連鎖が発生していた。
呆れながら自らも皿を追加してやるのが日向、それ美味しそうだなと横から持っていくのが木吉、その頭をひっ叩くのがリコである。
仲が良いんだか大人と子供のバランスが良いんだかと、他校の連中は呆れつつも和んで笑っていた。



「おいこらテツ、逃げんじゃねえ」

ドスの利いた声が入り口から聞こえてきたのは、あらかたのメンバーが料理を取り終えて席に着き、ちょうど食事を始めた頃だ。
聞き覚えのありすぎる声とその迫力に桜井などは条件反射にスミマセンを連発し、さんざっぱら被害を受けてきた若松もまたギクリと背を強張らせた。
またかと呆れたように胡乱になった目でそちらを見ながら、頬いっぱい詰め込んだ料理を咀嚼するスピードが落ちる火神である。

「無理です青峰君、僕もう匂いだけでお腹いっぱいです」
「バカ言え、匂いじゃ腹は満たされねっつの」
「だって」
「だってもキュウリもねぇよ、いいからトレイ持て」
「それを言うならヘチマです」
「テーツーくぅん?」
「いひゃい、いひゃいれすあほひれくん」
「誰がアホだばぁか」

本人たちにこそその自覚がないが、周囲にはすっかりバカップルとして知れた二人組はなにやら聞くのも恥ずかしい言い争いだ。
食事を前に逃げ出そうとする黒子の首根っこを捕まえてずるずると引きずる青峰に、入り口の辺りにいた宿の従業員が戸惑いを見せる。
なんでもないから、と取りなしてやっているのはたまたま近くにいた桐皇の二年生で、青峰はまるで頓着する様子がない。
無理やりトレイを持たされて膨れた黒子にぴしゃりと間違いを正されて、温泉上がりでもちもちとした頬を引っ張って仕置きするマイペースぶりだ。
そのやり取りだって甘ったるくて、まるで口の中に砂糖を突っ込まれた気分。

「なんでそうすぐ乱暴するんですか」
「乱暴じゃねえだろ、可愛がっただけだろ」
「人のほっぺた引っ張ることのどこが可愛がりですか」

いや、可愛がりです。
そう即答したくなったのはきっと若松だろう、強張った背がプルプルと震えている。
彼は青峰に腹を蹴られた過去がある。黒子には死んでも言うなと固く口止めされているらしいが。
ぷりぷりと無表情の中に不機嫌を滲ませながらももたされたトレイに取り皿を乗せていく黒子を見て、頭を撫でる穏やかさが可愛がり以外のなんだというのか。
むしろ愛されていると言っても過言ではない。

「おー、鮭。美味そ…けど小っせえな」
「旅館とスーパーの切り身を一緒にしちゃだめですよ。ただでさえ誰かと似て大食らいなんですから」
「うっせ。アイツと一緒にすんな」

料理の取りやすさを重視しての配置なのか、バイキングコーナーの周りを囲むようにしてテーブル席が設けられている作りは、本来自分たちのためにそうしてくれたのだろうが、今はそれが仇となって二人の会話が筒抜けである。
賑わいは相変わらずながら、青峰の迫力がいけないのかどうしても会話がトーンダウンしがちなのだ。
アイツ、と口に出したときの青峰は非常に不機嫌そうで、それが火神と一緒にされることが嫌だったのか、黒子の口から火神について聞くことが嫌だったのかはわからない。
が、確実に後者だろうと誰も彼もが踏んでいた。

「あ、鯖の照り焼き。青峰君、キミこれ好きでしょう」
「…おう」
「ふたつ?みっつ?」
「みっつ。おまえは?」
「青峰君の一口もらうからいいです」
「………おう」

はい、と黒子が手ずから青峰の皿にそれを盛りつけて、ついでに一口もらうのが当たり前のように甘えると、途端に青峰の眉間の皺が消える。
そのあまりのわかりやすさに、二人の様子を見るともなしに眺めていた一人が慌てて顔を伏せた。

「ぶふっ、やふ、あおひえやふい……!」
「高尾、口の中の物を噴いたらオレは席を立つぞ。…だいたい、この程度は日常茶飯事だったのだよ」

どん、と拳ひとつテーブルに打ちつけて顔を伏せたのは、他でもない高尾である。
なんて安い男なんだと爆笑を堪え、ぶくくと妙な声をあげて腹筋を震わせている彼に、緑間が眼鏡を押し上げながら忠告した。
「全部じゃなくて一口食べたい」という黒子のおねだり先は、中学の頃から当たり前のように青峰だったと聞かされて、高尾が更に笑いを堪えて妙な顔になる。
いよいよ噴き出しかねない形相に緑間は目を据えて、高尾の前に置いていた料理の皿を脇に避けた。
そんな緑間に高尾は口の中の料理を飲み込もうと必死になって、何やってんだ一年コンビ、と秀徳の二年生が二人の後ろ頭を叩く。
どうやら引退した大坪に代わって、今年からは彼が秀徳一年コンビの目付役のようだ。
「オレは悪くないのだよ!」と声を上げる緑間を綺麗に無視していたあたり、この一年彼の我が侭に振り回されたことでだいぶ耐性が付いてきたようだ。
あれは頭が上がらないだろうなと、もりもりと料理を掻き込む火神はくすりと笑った。



「テツ、肉焼いてる」
「…冷めちゃいますから、最後に行くといいですよ」
「ん。…って違ぇよ、話逸らすな。一切れでいいから食えよ」
「えー…」
「赤司」
「………はい」

青峰が指差したのは、焼き立て提供のステーキコーナーだ。
野郎どもが入れ替わり立ち替わり群がっているからすぐわかる。
育ち盛りの男子高校生にはやはり肉は欠かせない。
他にてんぷらと卵料理の前にシェフがいて、出来たてのものを提供してくれる。
いつだか火神が完食した、どでかいステーキを前にほんのちょっぴり口にしただけでギブアップした黒子はやはり肉は得意ではないらしく、青峰の主張に嫌そうな声を上げていた。
それでも青峰の口から出てきた彼らの元主将、赤司の名前にしぶしぶ是を唱えたのだが、果たして。
二人の様子を眺めながら首を傾げたのがわかったのか、料理を取って通りすがった黄瀬が教えてくれた。
彼の皿の上にはグリーンサラダ。火神から見れば葉っぱばかりでちっとも腹の足しにならないそれを好んで食べるあたりがモデルらしくて腹が立つ。

「黒子っち、帝光の合宿のとき、赤司っちに食トレされてたんスよ」
「は?食トレ?」
「そ。スポーツマンのくせに少食だし、お皿に山盛りになってるのはサラダくらいの草食男子だったっスから、黒子っち。見かねた赤司っちが焼肉奉行になっちゃって」

合宿中の黒子の食事には、毎回赤司が自ら焼いた肉が追加されることになったのだと言う。
いくら嫌だと思っても赤司が焼いたとあっては拒否できるはずもなく、こっそり他の食事を片付けてやっていた青峰も黄瀬もそれに手を出す勇気はさすがになく。
ときどき気まぐれに紫原が手伝ってくれる以外は、黒子が涙目になって腹に収めていたようだ。
完食するたびに赤司からは頭を撫でくり回され、緑間からはラッキーアイテムと称した胃薬が贈られていたあたり、彼らの中での黒子の立ち位置がわかろうというもの。
残念ながらそんな食トレの甲斐なく、黒子は細いまま育ってしまったようだが。

「なんつーか…おまえらほんと黒子大好きだな」
「だって放っとけないっしょ。黒子っち、女の子だったら絶対めちゃめちゃモテるタイプだと思うっスよ」

呆れた火神に仕方がないとでも言いたげな、しかし甘さたっぷりの声で黄瀬が言う。
自分も大概黒子を甘やかしている気がするが、キセキのそれは天井知らずで上を行くと火神は思う。
だいたい、あれでいて立派な男子高校生である黒子を捕まえて「女の子だったら」と例えるあたりがもうすでに病気だ。
ここにいる誰よりも体力はないが、ここにいる誰よりも精神的には図太くて頼りになって、そこらの軟派野郎が裸足で逃げ出すような男前な性格をしている黒子相手に、よくもまあ。

「そうかあ?」
「なんスか、黒子っちの可愛さがわからないとでも言うんスか?これだから童貞は…」
「てめっ、誰が童貞だふざけんな!」
「あ ん た た ち ?」
「「すみません」っス」

売り言葉に買い言葉。
スポーツ一筋のお年頃男子にグサリとくるような言葉は、食事の場には似合わない。
何人かのハートをズタズタに引き裂いてお通夜テーブルを作った黄瀬と火神の言い争いは、誰もが恐れる女子高生監督の鉄拳制裁をもって終結した。



「青峰君、白飯と炊き込みご飯がありますけど」
「どっちも。あと炒飯持ってく」
「あ、じゃあ麻婆豆腐お願いします」
「わかった。他には?」
「あとは飲み物くらいです」
「りょーかい。烏龍茶でいいんだろ?持ってってやるから先行って席取っとけよ。奥の方な」
「ありがとうございます。でも青峰君、また料理取りに行くんでしょう?近い方がいいんじゃ…」
「いーの。奥な、テツ」
「…? はい」

よくわからない、と言いたげな表情で、しかし要求に素直に頷いた黒子に、青峰は満足げな顔で笑いかけた。
「わけがわからない」のは黒子ばかり。どうせ食事中も黒子を独り占めしたい青峰の我が侭だ。
けれどそのやり取りと表情があまりに優しげで、高校に入学してからの青峰しか知らない桐皇の面々は皆一様にあんぐりと口を開けている。
二人の会話が聞こえてしまった他校の連中もまあ、似たようなものだ。
あの青峰が、タオルひとつドリンクひとつ自分で用意することなく桃井に任せ、時に先輩まで悪びれもなく顎で使うあの青峰が。
まさか頼まれごとを聞くだけでなく、他に必要なものの窺いまで立てるなんて、天変地異の前触れか。
今、彼らの心はひとつだ。

「おい、あれほんとに青峰かよ…」
「青峰さん、おつかいなんて出来たんですね…」
「いつもおつかいさせられてるもんな、桜井」
「残念ですけど、大ちゃんがあんな風に世話焼くの、昔っからテツ君限定ですから」
「うわっ、桃井いつの間に」
「お邪魔しまぁす」

女の子らしく更に色とりどりバランス良く盛りつけた桃井が、若松の隣の席に収まった。
どうやら監督とこの後のスケジュールについて確認を取ってから風呂に入ってきたらしく、桃色の髪がまだしっとりと艶を放っている。
スタイルの良い桃井がいるだけでなんだかぎこちなくなってしまうのに、風呂上がりの浴衣姿とあっては尚更だ。
先ほどの火神と黄瀬の言い争いにしっかり傷ついた一人である若松は、どぎまぎしながら桃井に問う。

「あー、えっと、行かなくていいのか?好きなんだろ、その、黒子のこと」
「ふふー、いいんです。一日目っくらい大目に見て、大ちゃんを油断させておかないと。合宿はまだ続くんですからねー…ふふふ、」

柔らかに笑う桃井は可愛らしいが、その表情と台詞の温度がまるで氷のようなのはどうしてだ。
腹のうちでどんな算段を立てているのだか、ざくりと突き刺すフォークの先にはプチトマト。
何に見立てたのか聞きたくもない。
どうしてうちの後輩は問題児ばかりなんだと、若松はまたキリキリと胃が痛むのを感じた。



「ほらテツ、茶」
「ありがとうございます。…お肉、持ってきたんですね」
「とーぜん」

忘れてくれないだろうかと密かに願っていたのだが、黒子の頼んだ麻婆豆腐と烏龍茶と、他にもまた新しく目いっぱいトレイに並べた青峰が、焼き立てのステーキを目の前に置く。
ソースは美味しそうな色をしているし、焼き立てのそれは湯気を放っているし、スパイシーな匂いも食欲を刺激する、のだけれど。
じっと親の仇でも見るような視線で肉を睨む黒子に苦笑して、青峰は「とりあえずお疲れ」と烏龍茶とコーラで乾杯した。

「これ美味しいです青峰君」
「ん?…お、ほんとだうめぇ。テツ、オムレツやろうか」
「ひとくち」
「ほれ」
「んむ」

これが美味しい、あれが美味しいと言い合っては仲の良い二人の皿の上で料理が行き交う。それくらいはまだ可愛い。
が、青峰と黒子に限ってはそんな字厳をすでに超越しているからタチが悪いのだ。
つい先ほどまで自分が使っていた箸でフォークで、なんの躊躇いもなく相手の口もとに料理を差し出す。
差し出された方も当たり前のようにそれにぱくつくのだから、「おまえらいったいどこの星から来たんだ」と突っ込みたいのを全力で堪えた。
見ないように、見ないようにと考えるほど奥まった席に座る二人の様子がよく見えてしまうのはなんの呪いだろうか。
漂う桃色の空気にも見覚えがある。

「テーツ、口開けろって」
「……一切れでいいって言いました」

周りに被害をもたらしつつも二人で機嫌良く食べ進めていたところへ、なにやら黒子がぷぅと膨れている。
あれこれ黒子の口に運んでいた青峰が今度差し出したのは、先ほど黒子が一番に片付けたステーキ、そのひとかけらだ。
青峰がわざわざ食べやすいように一口サイズに切り分けたらしい。まめなことだ。
繰り返すが、大抵の男なら「肉を食ってなんぼ」のお年頃でも黒子は肉が得意でない。
例え一口でも自分がこなしたノルマ以上に口にするのは嫌なのだろう、眉間に皺が寄っている。
黒子の皿はあらかた片付いていてきて、せっせと青峰が餌付けしていたこともあって皿に盛った以上は食べたのだろうが、まだまだ年頃男子の平均値にも及ばない。
食トレまではいかずともなるべく黒子に物を食べさせたいと思っているのは、青峰もまた同じようで。
しかしあの一度言い出したら聞かない頑固な黒子相手に肉を食わせるのは至難の業だろう、どうやって懐柔するのかと眺めていれば。

「この小せぇのもう一口だけ。…食ったらバニラアイス持ってきてやるよ」

青峰の付け足した一言に、黒子の目がそれとわかるほど輝いた。

「え!あるんですか!?」
「さっき見つけた。だから食えるだろ、テツ」
「…う…、はい、」
「ん、いい子。ほら、あーん」
「あー…」

バニラシェイクがなければバニラアイスか。
それでテンションの上がる黒子も黒子だが、先ほどからのやり取りにとうとうお決まりの「あーん」まで飛び出してはたまらない。
堪忍袋のを緒を切らしたのは、ぼきりと箸を折った桃井より、サラダにドレッシングを瓶まるごとぶっかけた黄瀬より、一番の常識人が早かった。

「あんたたち、食事くらい静かに食べなさいよ!!」

なに言ってんだよ静かに食ってるだろ、と返す青峰の言葉はごもっとも。
けれど他の面々は、「よくぞ言った」と声の主、相田リコに感謝する。
渦中の二人には見えないらしいが、先ほどから夕食会場ではハートの嵐が荒れ狂って視界が危ういほどなのだ。
夕食の後は自由時間を過ごして眠るだけなのに、まだまだ嫌な予感は拭えない。
あの二人だけ個室を用意してくれないだろうかと、みな溜息を吐くのだった。