甘ったるく、毒々しい色をした炭酸を喉に流し込む。 作り物の味はやけに舌に残って、なんだか苦いキスが欲しくなった。 <eparg atnaF> 「こういう日に限って脱走すんだからよぉ、うちのボスさんは」 空になった瓶を片手に訪れた執務室は、いつからだろうか、もぬけの殻だった。 執務机の後ろ、バルコニーに通じる大きな窓がひと一人通れるだけ開いている。 今日の脱走先は屋根上のようだ。 以前から仕事熱心とは言えなかったザンザスだが、近頃ではこうして執務室を抜け出すことも珍しくはない。 書類に埋もれて座っているなど性に合いそうもない男のすることだ。 仕事が終わらなかったことはないし、息抜きのためならそれでいいと思っていた。 張り詰めて張り詰めて生きてきた男が、ようやく息をつけるようになったのなら。 ここ数年、イタリアでは目立った抗争がない。 他国のマフィアが進出してくることもなければ、きなくさい余所事に巻き込まれることもなかった。 沢田綱吉がボンゴレ10代目を名乗るようになって、もうすぐ4度目の春を迎える。 徹底して争い事を嫌うあの男の下にあっては、天下のヴァリアーでさえも陽の下に連れ出されてしまいそうだ。 陽の光の持つ温もりなどとうに忘れたと思っていたのだが、最近、それほど遠くはない場所に感じる。 そこまで思って、スクアーロは苦笑した。 「う゛お゛ぉい、ザンザス、聞こえてんだろぉ?降りて来いやぁ」 窓の方へと足を向けながら、姿の見えない男に呼びかける。 返事こそなかったが、ざわりと殺気立ったのを感じたから、それで十分だった。 執務室を突っ切ってバルコニーへ出ると、強い風に髪を乱される。 以前よりも伸びた銀髪に遮られた視界は、再び色彩を取り戻すとやわらかな春を映し出した。 朝晩こそ冷え込むが、目に見える世界はすでに春そのものだ。 膨らんだ蕾がほころべば、よりあざやかに色づき出すだろう。 束の間、スクアーロは目を細めて、まばたきひとつの間に意識をザンザスへと戻す。 ザンザスのいる位置を確認すると、ぐ、と軸足に力を込めて、己の身体を屋根の上に跳ね上げた。 軽い音を立てて平らな屋根に着地すると、目の前に寝転がったザンザスが銃口をこちらへ向けている。 既に引き鉄にかけられた指を見て、スクアーロは口元を引き攣らせた。 「う゛お゛ぉい、昼寝の邪魔したくらいで物騒なモン向けんなよぉ」 「うるせぇドカス」 言うほど不機嫌でない声音に、ひっそりと安堵する。 どうやら銃口が火を噴くことはなさそうだ。 「なに持ってんだ、てめぇ」 律儀に手にしたままの瓶を見たザンザスが、紅い目を細めて訊ねてくる。 まったく光に弱い目をしているくせに、よく真昼間の屋根になど登る気になるものだ。 口にも表情にも出さずにそう思って、スクアーロは空の瓶を振ってみせる。 「ただのファンタの瓶だぜぇ。ベルのジャッポーネ土産だぁ」 復刻版、とか言うらしいぜぇ。 続いたスクアーロの返答を鼻で笑って、ザンザスは再び視線を逸らす。 「もう帰ってきたのか」 「そりゃ、なぁ……恒例のご当地ツアーはツナヨシに禁止されてっからよぉ、長居する理由もねえんじゃねぇかぁ?」 「よくベルが聞く耳を持ったな」 「……あんた、ツナヨシがキレたとこ見たことねぇのかぁ?おっぞましいんだぜぇ」 「よく怒鳴られはするがな」 「あんた、がかぁ?」 きょとん、と目を瞠ったスクアーロに、笑ったら殺す、と釘をさすザンザスだ。 「や、笑えねぇ。なんつーか、逆に笑えねぇぞぉ、ボス」 「あいつは猫被りだからな。そのうちてめえの前でも怒鳴りだすんじゃねえのか」 「……見てみたい、気もすっけどなぁ」 怒られてるあんた。 少なくとも、スクアーロの記憶の中にそんなザンザスの姿はない。 純粋な興味からきた台詞に、ザンザスはわずかに苦笑した。 その表情が思いのほかやわらかで、スクアーロは更に目を瞠った。 「あんたも丸くなったもんだなぁ」 「てめえに言われる筋はねえ」 「あ゛あ?オレのどこが丸くなったってんだよぉ。まだ腹は出てねぇぞぉ」 「……オレの腹が出てるとでも言いてえのか、スクアーロ」 「んなことあったら写メでも撮ってバラまいてやらぁ」 「上等だ」 他愛ない言葉遊びが出来るようになったのも、陽の光が近いからだろうか。 底冷えのする暗い闇を、確かに従えているはずなのだけれど。 いつから習慣になっただろうか。以前のように、昼間から暗い部屋に閉じこもっていることはなくなった。 昼時になればルッスーリアがサロンの窓を開け放って茶会の準備を始めるし、ベルフェゴールはマーモンを連れて日向ぼっこを楽しんでいる。 妙に弛んだ空気は闇色の制服を纏った自分達には決して似合わず、けれど今ではそうした空気が溶け込んでいる。 矛盾した、不釣合いに見えて実は均衡の取れた空気は、恐らくは捨てきれずにいたものだ。 そうでなければ、とっくに目の前の男がかき消している。 暗殺部隊の在り方ではないだろうと嘆いた古株も少なくはなかったが、家光あたりは満足そうに笑っていた。 「隣、邪魔するぜぇ」 とっくに近くまで寄っていたのだが、腰を下ろさずにいたスクアーロだ。 一言断って、相手の返事も聞かずにどっかりと座り込む。 「……許可した覚えはねぇんだがな」 「硬ぇこと言うなよ、いい天気じゃねぇかぁ」 「話が通じねぇんだよドカス」 わざとらしく溜息をつきながら、ザンザスが目を閉じる。 その呼吸が深くゆっくりとしたものになっていくのを感じながら、スクアーロは瓶を放り投げた。 「寝ちまうのかよぉ、ボス」 「………」 まだ起きてはいるのだろうに、応える声はない。 その様子に、今度はスクアーロが溜息をつく。 放り投げた瓶が遠くの植木に飲み込まれる音を聞いたところで、本来の目的を思い出した。 目的を思い出すと、同時に消えたはずの甘みも舌の上に甦ってくるから不思議なものだ。 堂々と寝たふりを決め込んだ男に向かって、 「なぁザンザス、キスしようぜぇ」 口ん中が甘くてしょうがねぇよ、と笑えば、返事の代わりに襲った拳が血の味を滲ませてくれた。 fin.
08.03.27 ファンタグレープの話。 おまけ 「だからいてぇだろぉがクソボスがぁ」 「うるせぇ」 「オレはキスしてぇっつったんだぜぇ?」 「太陽が見てる」 「誰だてめえぇ!!」 おわり << Back