ふと意識が浮上すればなんだか甘い匂いが漂っていて、まどろむ底で無意識に眉間に皺を寄せる。 腕の中に抱いていた体温が呼応するようにぴくりと一瞬緊張して、 その気配を和らげるように己の気配を鎮めれば、またゆっくりと眠りに落ちたようだった。 St. Valentino XANXUS×Squalo 目を閉じたままに外の様子を探る。 すでに太陽は高く昇っているようで、甘い香りに混じってベルフェゴールとルッスーリアが言い争う声が聞こえていた。 モメ事はごめんだと溜息をつきそうになるも、特有の殺気は感じられない。 他愛もない戯れのようだ。 今日は急ぎの用も任務もない。 ならばふだんから取り損ねている睡眠をもう少しの間貪ろうと、意識を沈めようとしたときだった。 ドアの外に、人の気配。 隠すようで隠されていない、どこか迷うような気配にはよくよく覚えがあった。 今度こそひとつ溜息をついて、ザンザスは紅い瞳を覚醒する。 はじめに映ったのは銀糸。 その先には間の抜けた寝顔がついている。 ヴァリアーに与えられた屋敷の内の、ザンザスの部屋で眠るとき、どうしてかスクアーロはふだんの鋭敏な神経を眠らせてしまう。 殺気が漂えば別だが、それを伴わない気配にはぴくりとも反応しないのだ。 くつろいでいるのだろうか。単に、たるんでいるだけか。 答えを出すのを少し躊躇して、ザンザスは身を起こした。 身体の下から腕を抜くそのときにさえ目を醒まさないのには、いささか閉口したけれど。 人ひとりの重さを受け止めていた右腕は、急に廻る血のために痺れている。 それを無理に伸ばしながら素肌にシルクのシャツを羽織って、ボタンを留めずにアンダーをつける。 ベッド脇の椅子の背にかけてあったスラックスを穿いて、音もなくベッドを後にした。 「…なんだ」 ドアを開くのと同時に声をかければ、目の前の相手が一瞬怯む。 何年という時を経て、いまなお自分に付き従って止まない者達。 そのなかで、恐らくは一番の心酔を見せるその男がどこかもじもじとした様子で立っていた。 「ボ、ボス」 「用がねぇんならまた寝るぞ」 「受け取ってくれ!」 「ああ…?」 差し出された物を反射的に受け取れば、その後は電光石火のごとく廊下を走って行った。 パラボラのひとつでも落としたんじゃないかと思うほど、その姿は速く遠くに消えていく。 こちらの反応を待たずして去るのは、あの男にしてはずいぶんと珍しい。 いくらか寝惚けた頭で思って己の手の内に視線を落とせば、いつだか気に入りだと零したことのあるホテルの包装。 リボンを解いて床に落とし、包装を破いて現れたのは、品の良いブランデーの香りが漂うチョコレートの包み。 確かに見覚えがあるそれだ。 …暗殺部隊が人に食い物を寄越すな。 真面目なようでどこか抜けた男だと思いながら、蓋をしてベッドへと戻る。 寝汚い男は相変わらず起きる様子はないようで、先ほどとは少しばかり頭の位置を変えてこんこんと寝入っていた。 抜けるように白い肌には過去に負った傷がいくつもあって、けれど銀糸の流れる背にはひとつもない。 背中の傷は恥なのだと、どこで覚えたのだか知れないことをずいぶん昔から言っていた。 己の眠っていた8年を経て、小生意気な日本のガキがイタリアへ来て、それでも今なお背に傷を作っていないのは、ひとえにこの男の実力だろう。 その細い肩が一際大きく吸った息に動いて、吐き出される頃に声をかけた。 「おい」 たった一度、常と変わらぬ調子でかけた一声で、銀髪の男は目を醒ます。 「…なんだぁ…?」 昨夜泣かせたせいか、その声はだいぶ掠れている。 億劫そうに裸の上半身を起こしながら、水、とねだるのを聞いて、 すぐそばの小さな冷蔵庫から取り出したペリエをその頭めがけて投げてやった。 「ッ…!」 違わず襲った衝撃に、起きたばかりの頭を抱え、シーツ越しに立てた膝へと顔を埋める。 しばらくそうしてもだえた男は、潤んだ瞳でこちらを向いた。 「っにしやがる!!」 「態度がでけぇ」 しら、と返すザンザスに二の句も告げなかったのか、悔しそうに唇を噛んで押し黙った。 ベッドに落ちたペリエを取って、今度は蓋まで開けて渡してやる。 まるで奪うように受け取って、スクアーロは一息に半分干した。 「あ゛、ぁー、あ゛ー…」 とんとんと喉の辺りを指先で叩きながら、調子を整えるように声を出す。 少しはマシだぁ、と掠れた声が言って、こちらの手元に視線を寄越した。 「…んだぁ?ボス、」 それ。 指でさされて、起こした用件はこれだ、と中から包みをひとつ取り出した。 それだけで匂いが届いたのか、酒入りのチョコかぁ?と小首を傾げて訊いてくる。 「食え」 「…う゛お゛ぉい、寝起きにチョコの毒見かよ…舌狂ってんぞ」 「構わん。レヴィが持ってきた」 「げ」 相変わらず敵視されているスクアーロは、苦く唸って眉を寄せた。 その口元に包みを解いて差し出せば、こちらの指ごと柔らかな舌が包んでいく。 ついたパウダーまで瞳を伏せて舐めとって、一度、二度、と咀嚼。 味に異常がないのを確認してから、わずかに喉を上下させた。 その瞳がいやに真剣なのに理由を問えば、 「ブランデーは苦手だぁ」 ウィスキーならいいけどよ、でもこれあんたの好きな酒だぜぇ。 確かな舌は己の好みを告げながら、それでも異常はないとそう言った。 味が濃いのは混ぜ物にうってつけだからな、と少しの時間を置いて、己に何の変化もないのに、食えよと促してくる。 言われてひとつ口にすれば、確かにザンザスの好きな味がした。 「…しっかし、なんでチョコなんか貰ったんだぁ?」 「知るか。それに、さっきからルッスーリアが何か作ってる」 「んぁ?……ああ、そういや甘ぇ……ベルも騒いでんな」 嗅覚と聴覚とを澄まして、それからふと気づいたようにその視線が部屋の中を探り出す。 どうしたと問えば、カレンダーはどこだと問いの形で返ってきた。 「今日、何日だぁ?」 「2月の14日だ」 「……あー、だからかぁ」 レヴィの奴。 くく、とおかしそうに、今日のドルチェはチョコのケーキだぜぇ、きっと。 見透かしたように笑う。 「何かあるのか」 「バレンタインだぁ」 「はぁ?」 それがどうしたと眉を寄せれば、山本から聞いたのだと答える。 「ジャッポーネじゃ、盛んらしくてなぁ」 例えば、上司。 例えば、親族。 尊敬する人。友人。そして、恋人。 「チョコ、贈る習慣があるんだってよぉ。女が告白するときの手段のひとつらしいぜぇ」 恋人の甘い気持ちをチョコに託して、二人、その日を過ごすのだと言う。 机の上がチョコで溢れていたと自慢されたのだ、とも。 「…単に血生臭ぇ日だと思ってたがな」 「はは、まあ、そっちのが馴染みあんなぁ」 笑う声が、少しだけ乾いている。 「ジャッポーネには、ホワイトデーなんてのもあるんだぜぇ」 「なんだ、それは」 「女にチョコ貰った男が、女にプレゼントで返してやるんだってよぉ」 「…くだらねぇな」 結局商戦に乗ってやるだけじゃねぇか。 皮肉れば、違いない、と苦笑に乗った答えが聞こえた。 イタリアでも、街ではチョコレートを売る店が増えていたり、花屋の軒先がいつもより鮮やかだったり。 カプチーノを頼めばパウダーが洒落た模様で出てきたり、特別なメニューが増えていたり、バレンタインは大事な日だ。 それといって騒ぐわけでもないが、街行く恋人同士の数が、いつもより少し多かったりする。 プレゼントを贈り合う習慣だってある。むろん、それを嫌う者も。 しかし自分達は、そんなものに現を抜かしている立場ではないはずなのだが。 「…レヴィの奴、今頃真っ赤んなってんじゃねぇのかぁ」 「ああ……脱兎のごとく、だったな」 「ッは、傑作だぁ!」 ドルチェの時間にでもからかってやるぜ、と裸の肩が揺れる。 それをしばらく眺めていると、遅まきながら気づいたようで、スクアーロがザンザスに視線を返す。 その目が何と問うのを読んで、口角を上げながらザンザスが言った。 「てめぇは?」 「…あ゛?」 「てめぇは、寄越すもんねぇのか」 …オレに。 (恋人の、日なんだろう?) ザンザスの言わんとすることに気づいて、途端にスクアーロの頬が染まる。 「ありえねぇぞぉ!」 叫ぶ声が震えて上ずっていて、ザンザスは耐え切れずに噴出した。 何考えてんだと怒りながらもすっかり耳まで赤らめるのに、ひとまずの満足だ。 スクアーロは悔しそうに髪をかき乱しながら、膝に顔を埋めていたけれど。 一頻り笑って、ようやくザンザスの笑いが収まる頃には、もはや仕方のない、と諦めた様子。 大人しくなった銀糸に指を絡めながら、ザンザスが珍しくねだる声だ。 「スクアーロ」 「…んだよぉ……」 「別にチョコはいらねぇよ」 「…後でココアでもいれてやらぁ」 「は、安いな」 「ご不満なら、キスのひとつでもつけてやるかぁ…?」 「フン…てめぇが、そんなに高級だとは思わなかったがな。」 ニィ、と口元を吊り上げるのに皮肉で返して、それでもゆるりと笑う唇にひとつ、キスを。 「お返し期待してっからなぁ」 浮いた声が聞こえて、 「夜に期待しろ」 返せば、そんなんいつもだぁ、と銀糸がやわらかに揺れた。 next. R-18
07.02.15 07.03.24 掲載 07.02.15〜07.03.24 WEB拍手掲載 << Back