― 脳内モルヒネ ― 夢を見た 手を伸ばして 誰かの指と絡まって それが妙に心地良かった。 「あ…?」 霞む視界に広がるのは、見慣れた自室。 必要以上の調度は一切取り除かれた、人工的な部屋だった。 ふと何かの臭いが鼻について、覚醒していく意識とともにそれを理解する。 「げぇ、報告…」 そうだ。 昨日は確か、一週間ばかり張り付いた末に与えられた任務を遂行したのだった。 最後の3日間は寝る暇もなかったように思う。 非力ながらの抵抗をされて、そういえばハデに返り血を浴びた。 異臭と表現するにはいささか嗅ぎ慣れてしまったそれの方向を辿ってみて、椅子に放り出したコートを視認する。 あれはもう着れねぇな、と溜息をつきながら、スクアーロは身を起こした。 時刻を確かめれば、午前3時をまわっている。 帰ってきたのは日付が変わった頃だったから、3時間近く意識を失っていたらしい。 ザンザスへの報告よりも、睡眠を優先させた眠る前の自分を小さく詰った。 「まぁたボスがうるせえぜぇ…」 小言でうるさい、と言うよりは、机か壁かにご挨拶させられるのだが。 近い未来の自分に溜息をつきつつ髪に手櫛を通そうとして、乾いた血に拒まれた。 舌打ちひとつ、ベッドをおりてバスルームへと足を向ける。 扉に手をかけたところで、内線の呼び出し音が響いた。 「う゛お゛ぉい…」 きたか。 つ、と背を汗が伝っていくのを感じながら、ひどくゆっくりとした手つきで受話器を耳に当てる。 直後、聞こえた低い声に、ゴメンナサイと頭を下げたくなった。 『てめえ、報告は』 う゛お゛ぉいボスさん自ら呼び出しかよぉ…! 普段は下っ端やらレヴィやら、部屋まで直接使いを出したり、あるいは今日のように内線で呼び出させたり。 夜中だろうと朝方だろうと、構わず人を使う男であるのに。 (今日に限ってどういう風の吹き回しだぁ) 直接のお呼び出しとあっては、シャワーなど浴びている暇はない。 「あ゛――…悪ィ、今から行くからよぉ」 声にするなり、回線はぶつりと切られた。 相変わらず言葉の少ない、むしろ簡潔過ぎる男だ。 寝るんじゃなかった、ともう一度溜息をついて、スクアーロは部屋を後にした。 * * * やたらと凝った造りの馬鹿にでかい扉の前に立って、 起きていることはわかっていたが、せめてもの時間稼ぎにノックをした。 入れ、と短い応答があって、深呼吸をひとつ、扉を開く。 月明かりだけが照らす部屋の中、ザンザスはその中央に位置するこれまた凝ったテーブルに行儀なく足を投げ出して、 ソファに背を預けながら水割りの入ったグラスを傾けていた。 「ボス…」 「血の臭いだな」 「あ?…ああ………そのまま寝ちまってよぉ…」 「はぁ?」 こちらを見ることなく言葉を投げかけてきていたザンザスが、そこに至ってようやくスクアーロへと目を向けた。 その目には隠しもしない怒気をはらんで。 怒気というよりはもはや殺気かもしれない、と冷や汗をかきながら、スクアーロは一言詫びて報告を始める。 そんなスクアーロの髪に散った鈍い赤を目にとめて、ザンザスはぴくりと眉を跳ねさせた。 「で、ボス…今回の奴だけどよぉ、いつもどおり…」 「いい。風呂入ってこい」 「あ゛ぁ…?」 「後で報告書で出せ」 「う゛お゛ぉい、てめえ、呼びつけといて…!」 「文句あんのか」 「ッ…」 ぎろりとお得意の一睨みをされて、応じることも、舌打ちひとつも出来ずに身を翻す。 (素直に寝せてくれる…わきゃねえよなぁ) ずいぶん身体は軽くなったが、それでも睡眠は足りていない。 このうえザンザスの相手をさせられたなら、きっと明日はベッドをおりられないだろう。 それでもまず間違いなく、この部屋からは追い出されるのだろうが。 壁や机とコンニチハさせられなかっただけマシか、と思い直して、スクアーロは脚をはやめた。 乱雑に服を脱ぎ捨てて、さっさとバスルームに入る。 コックを捻れば、体温の低いスクアーロには少しばかり熱い湯が肌を打った。 脚を伝って流れていく赤を見下ろして、それからふと先ほど見た夢を思い出して目を瞑る。 (しっかし変な夢だったぜぇ) あの夢の中、己の手を取ったのは誰だったのか。 古い記憶を呼び起こしてみても、ああして誰かと指を絡めることはなかったように思う。 顔も覚えていないが、親ですらその範疇に収まった。 誰かにすがっていたのだろうか。 それとも、誰かと繋がりたかった? 「…は、アホかぁオレは」 「今更気づいたのか」 「ッ、はぁ!?」 その独り言に、答えたのはザンザスの声だった。 気配すら感じ取ることができなかったのが情けないが、振り返ればそこにザンザスの姿があった。 「う゛お゛ぉい、何してんだぁボス」 濡れるぞぉ、といささかまぬけな台詞を向ければ、とっくにだ、と最もな答えが返ってきた。 確かに、と、それでも今更ではあるがシャワーを止めようとして、伸ばした右手をザンザスに止められた。 「ボス………ッん…」 振り向いたままの窮屈な姿勢で唇を重ねられる。 ゆっくりとしたそれだったが、息苦しさから口内へ侵入した舌をやんわりと噛んだ。 どうやらスクアーロの訴えを聞き入れてくれたらしいザンザスが、 手を取ってぐるりと態勢を入れ替えてくれた。 湯の降り注ぐなか、壁に押し付けられて舌を吸われる。 いつもの煙草と、上等の酒。 酔わされるようで、薄く目を開いた。 映ったのは、濡れて張り付いたシャツと、その下の体躯。 伏せると案外長い睫毛は、この男を幼くも見せる。 (…幼い、ってのは言い過ぎだろうけどなぁ) 意識を逸らしたのが伝わったのか、今度は自分が舌を噛まれた。 ドーモスイマセンデシタ、と、目を瞑ってそれに応える。 やけに丁寧で優しいそれに妙に胸をざわつかせながら、唇が離れるころにはすっかり身体を預けていた。 「…んだぁ、シャワー浴びるまで待てなかったのかぁ?」 「……血の臭いをつけて来るからだ」 「欲求不満ならそのへんの奴、適当に殺っちまえばいいだろぉ」 「てめえじゃねえんだ、そうそうオレが手ぇ出すか」 だからてめえはカスなんだ、と返されて、く、と苦笑に口を歪める。 どこまでいっても、このボスは不遜で憎たらしい。 「なぁボス」 「なんだ」 「夢、見たぜぇ」 「ああ?」 まあ聞けよ、と目で制して。 「手ぇ、伸ばしたらよぉ」 「誰かに、こうやって取られた」 視線の先は、態勢を入れ替えたとき、その手に取られた己の右手。 握った手は、すっかりザンザスの手で覆われている。 絡める、という表現は正しくないが、確かにザンザスの手の中だ。 ニィ、と口の端を上げて言えば、それを挑発と取ったのか、ザンザスの口元も吊り上げられる。 「ハ、そんなに欲しかったのか?」 「ッバ…!違ぇよ!」 「フン」 どうだかな、と含んだ声色が、耳元。 やけに機嫌のいいザンザスに、もう一度唇を重ねられながら。 (もし) (もしもの話だ) あの夢の中、手を伸ばした先にいたのが、オレの手を取ったのがこいつなら。 (……最悪だぜぇ) たまに見る夢の中でさえも、結局おまえに支配されてる。 fin.
06.10.23 << Back