ひどく酔っていた記憶はある。
いい気分で忍び込んだ場所は海軍船。
世辞にも褒められたものではないが、男にとってはすでに慣れた船だ。
目当ての相手がどこで眠っているかも知っている。
そしておそらく、乗り込んだことがとうに露見しているだろうことも。

気配を消さなかったのだってわざとだ。
鍵のかかったドアを容易く開けて、灯りひとつない船室へ身を滑らせる。
近づくベッドの上、規則正しい寝息が聞こえていた。
……まったく、わざとらしいことこの上ない。

「な、遊びに来た、スモーカー」

だから起きてよ。
ゆさゆさと肩を揺さぶって、ベッドに片膝を上げる。
途端に凄まじい勢いで起き上がった男が体勢を入れ替え、得物の十手を容赦なく喉元に突きつけてくれた。
男に組み伏せられ、柔らかいはずのベッドに預けた背がやけに重い。
海楼石の仕込まれたそれに、身体の力がゆるゆると抜けて、息苦しさを覚える。
それがまたたまらなく心地良いのだが、可笑しい、自分にマゾヒストの気質はないはずだ。

「……その首落とされてェのか、エース」
「は、は……そりゃごめんだ……でもあんたなら悪くねェ、かも」

途切れる声で笑えば、呆れたと言わんばかりの表情で溜息を吐かれた。
その唇さえ愛しいと思うのだから、我ながらいかれている。


偉大なる航路を逆走する間、何度となくこの海軍大佐殿には出くわした。
……ああ、いまは准将だったか。まったくお偉くなったものだ。
弟を追いかける情熱の半分、いやそのまた半分でもいいから、自分にも注いでくれないだろうかと恨めしく思う。
時には上陸した島で、上手く落ち合わせた宿で、今日と同じように忍び込んだこの船で、両の手では足りないほどの夜を共に過ごしたというのに。
(昼間から盛ったこともあるのは、まあ、若気の至りというものだ)
男のすべてが欲しいと思ったことは生憎ないのだが、籠絡してやろうとは思っていたのだ。
その自信もあった。けれど。



上手く継げない呼吸を助けるように、優しい唇がエースのそれに触れた。
ずるい、男だ。
悔しいけれどスモーカーはエースよりもずっと年上で、ずっと経験が豊富な、そんな大人の男なのだ。

離れていく唇が惜しくて追いかける。
舌を差し出せば少しだけ笑われて、けれどそのことに不満を覚えるよりも早く男の舌が絡まる。
たったそれだけで腰が疼くのだから、本当に腹立たしい。


「……安酒ばっかり煽りやがって。もっと美味いのがあるだろう」

散々に酔っ払ったエースを、そんな風にからかう。
雀斑の散った頬が赤い理由が、酒精のせいだけでないのを知っているくせに。

「あんた、ほんとに、ずりィ」

男から視線を外しながら、エースは唇を尖らせる。
続きは、と短く訊ねれば、酔っ払いは帰って寝ろ、と冷たい返事だ。

「あんたのベッド貸してくれんなら、大人しく寝る」
「朝までここに居てみろ。目が醒めたら監獄かもしれねェぞ」
「……なんだ、ベッドの上で縛り付けてくれんじゃねェの」
「そんな小洒落た趣味はないんでな」

とっとと行け、と犬でも追い払うように手を振った男は、愛飲の葉巻を求めて抽斗をあさり始めた。
横たわったベッドの上でエースはその背中を眺めていたけれど、未練の欠片もない様子に溜息をついて起き上がる。
押し倒されたときに脱げた帽子を被りなおして、ぱんぱんと形ばかりパンツの埃を叩いた。
夜目はきくだろうに、スモーカーはまだごそごそと抽斗を探している。
ああもう知らねェ、二度と来るもんか、なんて出来もしないことを心に誓って、海軍のマーク眩しい後ろ姿に思いきり舌を出してやった。


ベッドを飛び降り、部屋を出る直前。
エース、と低く名前を呼ばれた。
振り向いてやるものかと思ったけれど、ひゅん、と何かが風を切る音が聞こえて思わず振り向いた。
目の前まで迫っていたそれを反射的に受け止める。
掌を開けば、見なれたものがそこにあった。

「……なにこれ」
「ログポース」
「見れば分かる。なんで?」
「次に停泊する島だ。二日後には上陸する。おまえの船なら……まァ、明日の朝には着くだろ」
「……だから?」
「どこでもいい。好きな宿にいろ」


おまえの居場所なんかすぐに分かる。


唇の端を持ち上げるだけの、お得意の笑み。
葉巻に近づける燐寸だけが照らす、その顔。

どくりと跳ねた心臓は、果たして正常に機能してくれていただろうか。






ずるい。ずるい。
海軍船の横、堂々と停泊させた己の小型船。
出航の準備をしながら、エースは落ち着かない心臓を持て余していた。
どうして大人の男は誘い方もスマートなのだ。
スモーカーの歳に追いついたって、まるで勝てる気がしない。
(それはそうだ、あいつも同じだけ歳を重ねるのだから)

熱い頬を夜気で冷やしながら、勢い余って海水をばしゃりと浴びてみたりする。
訪れる倦怠感にまた、唇に仄かな熱を思い出したり、して。


「ああもう……だめだ、オヤジ、どうしよう、おれ、」


冷えない頬を両手で覆って、その場にへなへなとしゃがみ込む。
思わず呟いた言葉は震えて情けない。
風が優しい。三日月で良かった。
こんな顔誰にも見せられない。

籠絡してやる、なんて思うよりもずっと前。
自分では気が付きもしないうちに、きっと陥落していたのだ。


(ずるい大人には敵わない!)


fin.



title:HYDE 乙女過ぎたらすみません。 モクメラがお好きだと言ってらした石榴さんにものすごい勝手に捧げます! << Back