THE NEPENTHES -after that-  12.05.03



※スパコミ無配


「あっ…も、しつけェ…ッ」

後戯のはずの手指が妖しげな動きを見せ始めたところで、エースはたまらず逃げ出した。
ころりと転がったあまり広くはないベッドの上、それでも端の方はシーツがひんやりとしていて気持ちいい。
ちらと横目で窺った男はいささか不満そうな顔をしていて、まだ満足しないのかとわずかばかりの呆れも漏れる。
時刻はとうに丑三つ時だ。寝ずの番の隊員たちが、そろそろ交代で見張り台に上がるころ。
本来であればエースも自室であまり良いとは言えない寝相を晒しているころなのだが、ここ数日は勝手が違っていた。


THE NEPENTHES -after that-


ワールド・バザールから持ち帰られた不思議な飴がもたらしたある種の悲劇から、今日で十日になる。
発情期なんてものを迎えてしまったマルコにさながら獣のごとく貪られて、腰を抜かすなんて出来事に見舞われたのはまだエースの記憶にも新しい。あの日から相も変わらず白鯨は彼の島のそばの海域に佇み、日ごと夜ごとに隊員たちは島で羽根を伸ばしていた。
あの夜の後。
一粒だけ残っていた飴玉をマルコが船医に見せた結果、それはただの飴玉ではなく悪魔の実の波長を狂わせる薬であったことがわかった。
それも超人系や自然系には効かず、動物系の能力だけをいわば暴走させるものだったらしい。
誰がなんの目的で作ったものなのか未だ定かではないが、相当の知識と技術でもって作られたそれに研究者根性を刺激されたらしく、
優秀なる医療班はわずかなサンプル相手に日夜張り切っているというから恨めしい。
飴玉を持ち帰った当人であるサッチに言わせれば、喋るトナカイにもらったのだというなんとも胡散臭い話であったのだが、いまのところ手がかりには繋がっていない。
とにもかくにも翌朝には平常通りのマルコであったことと、念のためにと施された精密検査の結果、身体に害はなかったことが確認されたのだが、思わぬ副作用が待っていた。

もともと万人向けに作られた薬ではない。
作った本人が能力者であったのか、はたまた研究用に試作されたものであったのか。
知りようもないことだが、能力によって多種に分かれる動物系の、それも幻獣種、良く言えば希少、悪く言えば珍獣のマルコには、予期せぬ方向へと薬の効果が表れた。
一度乱された悪魔の実の波長は、その後もたびたび変調をきたすようになってしまったらしい。
初めは飴玉を食べた二日後の昼ごろ、その後は三日を過ぎた夜。エースとともに島に出向き、帰って来たその日だった。
能力の発動にこそ問題はなかったが、マルコは再び「発情期」に悩まされることとなったのだ。
そのたび人身御供よろしく差し出されたのが、他でもないエースだった。
ちり、と未だ焼けたように肌が熱い。
先ほどまでの濃密な時間を含んだように、部屋の空気はねっとりと熱く重い。
そこかしこに淫らな気配が燻ぶっていて、わずかな火種でもあればすぐに燃え広がってしまうだろう。そうなればきっと流されてしまう。
すう、と小さく息を吸い込んで、エースはそっと吐き出した。そんな小さな吐息にも気づいて、マルコがエースの髪に優しく手を伸ばす。

「……きついかい」

身体は、と訊ねられてゆっくりと首を振る。
頬をシーツに擦りつけるようなそれさえ億劫だけれど、ここで頷いてしまえばマルコが本音を見せてくれなくなるのは目に見えていた。
そんなエースの仕草にマルコが小さく苦笑する。

「別に強がんなくてもいいよい」

自分でもわかっているのだと彼は続けた。
男女のそれと違って受け入れる側には負担が大きい。
ふだんは理性が利いて歯止めをかけられるものを、如何ともしがたい衝動に見舞われたまま貪っては、加減のひとつもしてやれない。
それを情けなくさえ感じているから、いっそ縛りつけて倉庫にでも放っておいてくれていいのだとさえ自嘲してみせた。

「……らしくねェこと抜かすんじゃねえよ」

知らず、声が低くなる。
マルコのくせして腑抜けたこと言うな。
髪を撫でる彼の手をぎりりと掴んで睨みつければ、マルコは困ったように笑った。

「ドクターが言うには、波長が乱れる周期もだんだん長くなってきてるから、正常に戻るまであと一週間かからねェだろうってよい。そのくれェなら、ワールド・バザールの宿にでも閉じこもってりゃすぐに過ぎる」

だから自分の我儘に付き合う必要はないのだと聞かされて、今度こそ怒りが頂点に達するエースだ。
わし掴んだマルコの手をそのまま引き寄せる。その思いがけない力強さに、何事かとマルコはエースに顔を寄せた。
近づいた青い瞳をぎろりと見据えてエースが言う。

「あんたの面倒くらい、おれが見てやる」

怒気どころか殺気の混じった視線を間近で寄越されて、さすがのマルコもエースの不機嫌の理由を悟ったらしい。
しかしながらその理由が自分だから、どうしたものかと少しばかり困った様子だ。
そんなマルコに構わずに、エースは言いたいことだけ続けた。

「おれがいるのに一人でヌくのも、どっかのお姉ちゃんとこ行くのも許さねェからな」

でも今日は打ち止めだ。だからこれ以上は盛るなとびしり言い渡されてマルコは苦笑する。
これではまるで、妻の尻に敷かれたダメ亭主ではないか。
マルコの年下の恋人は、ときどき、マルコの胸の中の柔らかいところに甘く疼くようなさざ波をくれる。
無意識のそれは嘘がなくて、だからこそ性質が悪い。

「…それじゃ、おまえに発情期がきたときはちゃんと責任取ってやるよい」

不意にもう一度その肌に触れたくなった衝動をごまかすように、マルコはわざとエースをからかった。
それ以上の意味は持たせなかった、そのはずなのに。

「んなもん一生こねェよ馬鹿マルコ。……けど、」

そんなもんなくても、あんたはおれの傍にいろ。

「責任、取ってくれんだろ?」

エースがニッと笑って言えば、きょとりと目を見開いたマルコが、数拍の後に敵わないといった体で破顔した。
エースにしてみればなんだからしくないマルコに喝を入れてやるつもりで口にした言葉だったのだが、どうやらマルコにとっては意味合いが少し違ったらしい。
大人の男がそんなに嬉しそうに笑うのを初めて目にして、エースの肌がじわりと熱を上げる。
胸のうちに込み上げる、この感情はなんだろう。
あたたかくてくすぐったくて、ひどく心地良い。
けれどどうにも、胸を掻き乱される。
なんだかとてつもなく恥ずかしいことを口にしてしまった気がして、赤くなった頬を隠すようにぶっきらぼうに「寝る」と告げると、エースはシーツを被った。
さんざん愛された後の肌はまだ汗やらナニやらの体液に塗れていて本音を言えばシャワーを浴びたかったのだけれど、このままだとなんだかもう一度抱かれてしまいそうな気がしたのだ。
……それが嫌ではない自分がいて、どうしようもなく恥ずかしくなった。
だからマルコの視線から逃げた、つもりだったのだが。

「う、わッ!?」

べり、と音でもしそうな勢いでシーツを剥がれる。
勢いそのままにベッドから落ちそうになるエースを、体勢を整えるよりも早くマルコの手が腰を掴んで止めた。
不意に触れた、その肌の熱さにぎょっとして顔を上げる。吐息が触れそうなほど近くに、熱を帯びた青い目があった。

「……マ、マルコ……?」

おそるおそる名前を呼べば、まるでそれを合図にしたようにマルコがエースの耳朶を食んだ。

「ん…ッ、て、ま、待てって、もう…!」

あたふたと視線を泳がせるけれど、マルコの腕の中に閉じ込められて逃げ場はない。
焦るエースを他所に、意思を持った手は無遠慮に肌を這い始めた。だめだと必死で押しのけるエースの耳に、マルコの低い声が響く。

「……煽ったのは、おまえだよい」

諦めろと言われたのだったか、愛していると言われたのだったか。
やがて白く溶けたエースの意識は、正しく記憶してはいないけれど。
風は凪いで、海は穏やか。空には蕩けそうな蜂蜜色の月が浮かぶ、幸せな夜の一幕である。


fin.


2012.05.03 スパコミで無配させて頂いたものでした。
「Beauty&Stupid」収録「THE NEPENTHES」おまけ編。

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