glasses      10.11.06




ふとした仕草に夜の気配を思い出してしまうのは、自分が若いからなのか、それとも。

赤信号。
ちょうどそれに引っ掛かってしまったことにわずかに苛立ちを覚えたのか、こつりとハンドルを小突いたその指先に、エースの鼓動がどくりと跳ねた。
洒落たデザインの細い黒のフレームは、流線も美しくその横顔をいっそう怜悧に整えて見せる。
マルコが眼鏡をかけるのは、運転をするときと仕事をするとき、それから読み物をするときくらいのものだ。
その奥に隠された薄い青色が、眼鏡を外し、欲も露わにエースの姿を映すとき、その瞬間に背を走り抜ける感覚にエースはひどく弱かった。
眼鏡を外すときの繊細な動きを見せる指も、荒々しくキーボードにタッチする指も、エースの肌に触れると気の無骨なくせに優しい、指も。
不精髭に見られるように、元来自分のことには無頓着な気質の彼がその爪を常に整えているのは他でもないエースのためで、それがふいに目に入った瞬間、
エースはどうにも居たたまれないような気恥ずかしいような、そんななんとも形容し難い感覚に陥るのだ。


「……なに、見てんだい」
「え、」

かけられた声にはっと意識を戻すと、いつのまにかマルコが興味深そうにエースの様子を窺っていた。
おまえの考えていることなどわかっている、とでも言いたげな緩く弧を描いた唇と、優しそうにも意地が悪そうにも見える、
きっとどちらもを含んでいるのだろう細められた眼鏡の奥の瞳に、エースはかっと頬が熱くなるのを感じた。

「ま、前見ろよおっさん!」
「どんなに見たって赤だよい」
「そんなんすぐに変わるだろ!」
「へェ?そのほっぺたがすぐ戻っちまうのはつまんねェなァ」
「あ、あんたどこ見て言ってんだよ!」

信じらんねェ!とそっぽを向いて、ごつりと冷たい窓ガラスに熱くなった頬を寄せて冷ましてみる。
はあっと勢いづいた溜息を吐くと、くつくつと声を殺してマルコが肩を揺らすのがわかった。
ますます居たたまれない気分で窓に頬を押しつけると、

「エース」

そう、マルコの呼ぶ声が聞こえた。
誰が振り向いてやるものかと思ったけれど、再び聞こえた声の甘さに、ついうっかり視線を向けてしまう。
自分のなににエースが弱いかだなんて、このずるい大人はちゃんと知っているのだ。
エースもまた、知っている。
こうして甘い声で自分を呼ぶときのマルコが、自分になにをねだっているかくらい。

「エース」

こつりとまたひとつハンドルを叩くその音に急かされて、マルコの方へと顔を寄せる。
同じように顔を寄せたマルコに口づけるふりで、エースはその厚ぼったいマルコの下唇に、文字どおりに噛みついた。
やんわりと歯を立て、幾度か噛みついた後に、してやったりと笑顔を浮かべて離れてみせる。
眼鏡の奥の瞳は、思ったとおり不満そうだ。

「……痛ェだろい」
「嘘つけよ」

そんな強く噛んでねェ、とエースがくすり笑う。
聞こえた舌打ちに、エースはいよいよ楽しくなった。
この年上の恋人相手には、例え小さな勝負だとしても敵うことなど滅多にはない大金星なのだ。
むすりと寄った眉間の皺にちょいちょいと指先を伸ばしながら、

「……眼鏡。邪魔でチュウできねェよ」

ただでさえ鼻高ェんだから。
そう言ってまた笑えば、きょとりと驚いたような表情を見せて、直後マルコはにやりと口角を上げた。
それからゆるりと眼鏡を外し、ちらと欲を灯した瞳でエースを見下ろす。
瞬間、背を舐めていったのはあの感覚で、エースはマルコには気付かれないように喉を鳴らした。

「マル、ッ……」

名前を呼ぶよりも速く、ああこの表情が好きなのだ、とそう思うころにはもう唇は塞がれていて、
結局はクラクションを鳴らされるまで、エースは彼に溺れることにしたのだった。


fin.


青信号になっても進まない車は全部まるえがイチャこいてるせいだと思えば許せるような気がします。
10.11.06〜12.05.25WEB拍手掲載

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