BLUE LAGOON      11.07.29




波は穏やか、風は静か。
小さな島が集まったこの海域は、偉大なる航路において珍しく穏やかな航海が出来る海だ。

色鮮やかな珊瑚に白い砂浜、どこまでも高く澄んだ空。
空の色をそのまま映した海には、小さく儚い、美しい魚たちが集う。
常夏の気候は島を育み、緑を繁らせ、豊かな恵みをもたらした。
かつてはその豊富な資源が災いして海賊どもの縄張り争いが絶えなかったけれど、
その争いに終止符を打った白ひげがその庇護下に置くこと数十年、島は観光で栄えてきた。
連なる小さな島々には、それぞれに港町と盛り場がある。
特産の酒が島ごとに異なるからと、白ひげ海賊団の面々は立ち寄る度に島と島とを行き来しては
滞在する間じゅう夜ごと宴を楽しむらしい。

この諸島に立ち寄るのは、実に三年ぶりだと聞いている。
しばらくこの辺りの海域に出向く用がなかったからだそうだが、今年は果実の実りが良いから
特に美味な酒が出来たのだと、島の長から是非にの便りが届いたらしい。
酒は命の水だと常日頃口にしている船長が、その報せに頷かないはずもなく。
美人揃いのナースと一番隊隊長の眉間の皺は見ないふりで、針路を南に向けることまる二週間。
太陽が空高く昇るころになって、白鯨は目指した場所へと辿り着いたのだった。





「うわ、すっげぇー!」

炎の勢いを借りて一気に見張り台の上までその身を躍らせた末の弟が歓喜の声を上げるのを、兄貴連中は揃って笑った。
どうやら気に入ってくれたようだと、わずかに安堵を滲ませながら。
三年ぶりに訪れる島は、相も変わらず美しかった。
眩しいほどに白い壁が連なる港町では、歓迎に出てきた島民がそこかしこから手を振っている。
オレンジに近い赤色の屋根と、空と海との青の対比。
盛りの花は色とりどりに咲き乱れ、まるでどこか異国の景色を描いた絵画を、そのまま嵌め込んだような風景だ。
古くから白鯨に乗るクルーでさえも見惚れてしまうその景色を、末の弟はいたく気に入ったらしい。
狭い見張り台から身を乗り出し、前のめりになって食い入るように島を見つめるエースに、
我らが親父こと船長白ひげは上機嫌に声をかけた。

「どうだ、いい島だろう、エース」
「ああ!やっぱ親父はすっげえな!」

こんな綺麗な島からお呼ばれしちまうんだから、と間髪入れず続いたエースの言葉に、
グララ、と腹の底から響くような笑い声がびりびりと空気を震わせた。

「好きな島見つけて回ってきやがれ。ストライカーなら、夜までに3つ4つは回れるだろう」
「3つ4つ?この島、20くらいあるんだろ?1つ1つそんな遠いのか?」
「島と島とは近いが…おめェ、どうせ食い物につられてひとつ所から動かねェだろう」
「うわっ、ひっでェ!!…そりゃ当たってっかもしんねえけど」
「グラララ!夜には一番でけェ島で揃って宴だ、ビブルカードで帰ってこい」
「わかった!」

ぶんぶんと手を振って応えるのに、再びグララと笑い声が響く。
島に上がる前に点滴の時間です、と白ひげの行く手を阻んだナースに渋々従って、偉大なる船長はまた船室へと戻っていく。
それと同時に慌ただしく上陸と接岸の準備を始めたクルーを見下ろして、その仲間に加わるべく、
エースは来たときと同じように軽々とその身を宙に躍らせた。


* * *


「初めて行くんだからよ、エース、誰か一緒に連れてけよ」
「隊長、結構方向音痴ですからね!」
「どこでも寝ちまうし!」
「なんにしろ、食いモンには金遣いが荒くていけねェ」
「島ふたつ回るころにはスッカラカンかもな!」
「あーもーうっせえおまえら!!」

ぎゃははは、と品なく笑う隊員たちに軽い拳骨をくれてやりながら、上陸に浮き足立つ連中の間を縫って歩く。
歩くそばから肩を叩かれ声をかけられ、果てには小遣いだ、なんてベリー札まで握らされる。
子ども扱いするなと叫んでみたところで、親と子どころか下手をすれば祖父と孫くらい年の離れたクルーだっているのだ。
船長として過ごしてきたときも、モビー・ディックに乗ってからも、いくつもの島に上陸してきたけれど、
初めての島に足を踏み入れるときのなんとも言えぬ高揚感だけはいくら経験したって色褪せない。
いつだって笑顔を絶やさないエースだけれど、今日はなおのこと楽しそうな、それこそ新しい玩具を見つけた子どものような
顔つきをしていたのだから、つい構ってやりたくなるというものである。
エースにとってはそれがどうにも気恥ずかしくてくすぐったくて、感情の逃がし場所がない。
だからこそ怒ったふりをしてみせるのだけれど、それが照れ隠しなのはすっかり知られているのだからどうしようもない。

「隊長、メシならまっすぐ東に2つ行った島の一番でけェ店が美味いっすよ」
「いいや、酒なら南の4つめだね」
「デザートならこのモビーつけてる島の、北の坂を上ったとこの出店がおすすめっす!」
「ばーっか、いっぺんに言われてもわかんねェって!」

ようやく人の波を抜けるころになって、教えられるのは食べ物の情報ばかりだ。
エースとしては確かに有難い情報だけれど、まだ島に上がってもいないのに、次から次へと聞かされても整理ができない。
仕方のねェ、と笑いながらエースはひらひらと手を振って応えた。
この島には最低でも二週間、補給と船体修理の状況如何ではもっと長く滞在すると聞いている。
教えてもらった店にももちろん足を運ぶつもりでいるけれど、まずは自分の足で確かめたい。
どこへだって行けるストライカーと、どこにいたって親父の元へまっすぐに帰ってこれるビブルカード。
それさえあれば、エースは自由だ。
白ひげの縄張りだから、背に入れた大きな誇りを隠す必要だってない。
思いきり羽根を伸ばすのに、障害になるものはなにひとつないのだ。
ミーティングは終えているから、あとは上陸するばかり。
念のため、と隊長連中に持たされている子電伝虫の所在を確かめようとしたところで、はたと気づく。

「…っと、やべ」

ぽすん、と叩いた左足。
そこにいつもの青いボディバッグがなかった。
どこへ、と一瞬ひやりとした汗が伝ったけれど、すぐにその所在を思いだす。
マルコの、部屋だ。
昨夜は上陸前だからとつい気分が高揚してマルコの部屋に押しかけて、マルコの部屋の酒を一本頂戴して――……、
それから、そう、ついでとばかりにそこかしこを触られたのだ。
いらないことまで思い出して、ぼっとエースの肩から炎が上がる。
そばにいた隊員が驚いた声を上げたのに、悪ィ、と小さく謝罪した。

「あれ?降りるんじゃないんスか、隊長!」
「隊長――!?どこ行くんです!」
「忘れモンした!取ってくる!!」

ぐ、とビタミンカラーのテンガロンを深く被り直しながら船室に向かって走り出したエースの背に、また笑い声が重なっていく。
相変わらずそそっかしい隊長だ、元気すぎて目が離せない。
すこしばかり格好の付かないそんな囁きは、エースの耳に届いたのか否か。
どたばたと騒がしい末っ子の背が船室へと消えていくのに、隊員たちは揃って頬を緩ませた。


* * *


「―――ッマルコ!!マル、……あれ…?」

ばたん、と勢いよく開け放ったドアの正面。
いつもはその突き当たりのデスクに座っているはずのマルコの姿がなかった。
上陸前のミーティングを終えた後は、残っている書類を片付けるからと言っていたはずなのだが。
一緒に島を回ろう、としつこく誘ったのだけれど、今日は一人で行ってこいとすげなく追い出してくれた
薄情な恋人はいったいどこへ行ったというのか。
まさか懇意にしている女がこの島にいたんじゃないだろうな、とあらぬ方向へ思考が走りかけたその瞬間。

「……ッるせェよい…」

あまり機嫌が良いとは言い難い恋人の声が聞こえて、エースははっと視線を巡らせる。
その視線を向けた先、今朝がたまでエースも転がっていた狭いベッドの上、
上半身になにも纏わぬマルコがちょうど身体を起こすところだった。

「…え、なに、あんた寝てたの…?」

ごし、と気だるそうに目もとを擦る仕草は、ときどき寝起きの恋人が見せる仕草だ。
人の誘いを断って、と腹を立てるよりも先に、どこか具合でも悪いのかと心配になってしまう。惚れた弱みだ。
慌ててそばに寄ってこつりと額を合わせてみるけれど、伝わる体温は変わりない。
むしろエースの方が熱いくらいだ。
熱はないようだとほっと胸を撫で下ろすところへ、じっと視線がそそがれるのに気がついた。
はたと視線を上に上げれば、ぶれるくらいの至近距離でマルコの青色がこちらを見つめている。

「ッうわ、」

――――やらかした!!

ついつい昔ルフィにしてやっていたのを無意識にトレースしてしまったけれど、相手は可愛い弟ではないのだ。
紆余曲折の果てに三ヶ月前に恋人になったばかりの年上の男である。
昨夜も身体に触られたように、口には出せない恥ずかしいこともさんざんされてしまっているけれど、
こんなゼロ距離で見つめ合うような事態には気恥ずかしさが拭えない。
慌てて離れようとしたけれど、そんなエースの首ねっこをむんずと捕まえた恋人の唇が重なる方が早かった。

「ッん、」

厚ぼったい唇が触れるのに反射的に目を瞑る。
舌先に辿られれば教えられたように唇を開いてしまうから、遠慮もなしにマルコの舌が潜り込んでくる。
絡め取られ、舌先を吸われては上顎をくすぐられる感覚に、ぞくりと妖しい刺激が背を伝い下りた。

「ん、ぅ、んー…ッ」

首筋を捕らえていた手がエースの後頭部を支え、くしゃりの髪を撫で回すのに、
これ以上本格的に口づけられてはたまらないとエースが暴れ出す。
どんどん、と遠慮なしに拳で胸を叩けば、意趣返しとばかりに舌先に小さく噛みついてマルコの唇が離れていった。

「っぷは、あ、あんたなに考えてんだよ!」
「てめェがなに考えてんだよい、人の楽しみ奪いやがって」
「ひ、昼寝の邪魔したのは悪かったけど!」
「そっちじゃねえよい」
「は?」
「……なんでもねェ」

チッと舌を打って緩く頭を振る様子は、いつものすこしだけ不機嫌そうなマルコの姿だ。
息が整えば先ほどまでの気だるい様子が気になって、見上げるように問うてしまう。

「……どっか具合悪いんじゃねえよな…?」
「書類片付けてたら目が疲れたから、横になったらつい寝ちまっただけだい」
「うわ、おっさんくせ…」
「なんか言ったかよい」
「なんでもねェです!」

ぎら、と殺気を帯びたマルコの視線に晒されて慌てて首を振る。
思ったことをすぐに口に出すのはおまえの美点だが時と場合を考えろ、と誰もかれもに言われているのだけれど、
つい善し悪しを判断する前に言葉にしてしまうのは、幼いころからついてしまった習慣だ。
ちょっとやそっと気を付けたところで直るものでもない。
両手で口を塞いでこくこくと頷くエースを胡乱げに見てから一度目を伏せ、はあ、と溜息をついたマルコはもういつものマルコだった。

「んで?島に下りるんじゃなかったのかよい」
「――あ!そう、おれ忘れモン取りに来たんだよ!ほら、昨夜あんたに脱がされたせいでボディバッグ置いて――…ッ」
「……おれに脱がされたせいで、かい」

にやりと笑うマルコの顔を見て言葉が止まる。
つい数瞬前に反省をしたばかりなのに、とんだ墓穴だ。
ぼん、と真っ赤になるエースの顔を見て、「火ィ噴くんじゃねえぞ」とからかうマルコは実に楽しげだ。
くつくつと笑いながら、枕元から見慣れたボディバッグを取り上げる。

「ま、子電伝虫の存在に気づいただけ褒めてやりてェとこだがな」

その様子じゃ、とからかう気満々のマルコの手からボディバッグを奪い取る。
真っ赤な顔で唇を噛んで睨みつけてみても、マルコにまったく堪えないのはわかっていたけれど。

「ッくそ!!おれァ島の探検楽しんでくるからよ、あんたは引きこもって書類片付けてろ!」

せめてもの抵抗に憎まれ口を叩いてやって、勢いよくベッドを飛び降りようとして―――…叶わない。
エースが逃れるよりも早く、マルコに腕を掴まれてしまったからだ。
中途半端な体勢で片腕を引かれては、エースとて踏ん張りがきかずにまたベッドへと戻ってしまう。

「な…っに、すんだよ!」

精一杯怖い顔を作って牙を剥いてみるけれど、マルコの表情に浮かぶのは性質の悪いからかいと、
――それから、まるで悪戯っ子のようなそれだ。(いい年齢をした大人に使いたい比喩ではないけれど)

「長逗留するんだ。別にそう急ぐこたァねえだろい」
「はあ!?ざっけんな、おれ腹減ってんだよ!美味ェ店も教えてもらったし、だから、」
「腹減ってんならほら、昨夜サッチが持ってきた試作品だ。焼き菓子だからまだ食えんだろい」
「それは食うけど、マルコ、書類あんだろ!離せよ!」
「休憩だ。膝貸せ」
「は!?ちょっ、こら、マルコ!ッぶ、」
「うるせェ」

鼻先に押し付けられた包みからは、ふわりとレモンのいい香りがする。
なんとも食欲をそそられるそれは、きっとマルコがもらったというサッチ試作の焼き菓子だろう。
それはいい。是非とも腹に収めたい。けれど、島に出かけたいのも事実なのだ。
色々と食べ歩きもしたかったし、なにより夜の宴会までなにも食わずにいるのは耐えられない。
初めて降り立つ島なのだから、色々と楽しみにしていることもあったし――…、だというのに、この男は。
強引にエースの腰を抱き寄せて、エースの太腿の上、もぞもぞとすっかり収まりのいい位置に頭を収めてしまっている。

「ッマルコ!!寝んのは勝手にすりゃいいけどよ、おれは外に――」
「おまえのこれがいいんだよい」

膝枕。
そう言って、ぽん、と優しく膝頭を叩く。
だめかい、と訊ねてよこす声は、まるで甘えるような誘うような、ねだった色を含んでいて。
だめだと言って聞かせたところで、エースの膝枕で眠るのはすでに決定事項なのだろうに。

「〜〜〜ッ一時間だけだぞ!!一時間したら、あんたの財布持って呑み食いしに行くからな!」
「ハ、たまには恋人甘やかしてくれたってバチ当たんねェだろい。ケチケチすんじゃねえよい」
「こッ……、あんたなァ…!」
「なんだ、違ったかい?」

ちらりとエースを見上げるその青い目には、きっとこれ以上ないほど真っ赤になった自分の顔が映っているのだろう。
もしかしたら身体の輪郭くらいは、耐えきれずに炎になって揺らいでいるかもしれない。
耳はかっかと熱いし、どかどかとまるで内側から叩くみたいに鼓動がうるさい。
余裕たっぷりなこの年上の恋人には、ちょっとした言葉遊びでさえイニシアチブを握られてしまうのだ。
言葉を失くしたエースに満足そうに目を細め、ふと口もとを和らげると、マルコはゆっくりと目を閉じる。

「―――…一時間でいいよい。夜の宴にはおれも合流する。明日からは目いっぱい構ってやるから、いまは膝貸せ」

ぽん、とまた膝頭を叩くと小さく、わかった、とエースの声が聞こえた。
明日からの財布は全部あんた持ちだ、と続くのに、素直じゃねえなとおかしく思う。
ようやく手に入れた年下の恋人は、なかなか素直にその感情を吐露してはくれないのだ。
ほんとうは今日も彼の誘いに乗って島を回ってやりたかったのだけれど、急ぎの用が出来てしまったのだから仕方ない。
白ひげからの頼みとあっては、断れないのがマルコなのだ。
明日からは目いっぱい甘やかしてやろうと今日だけは手放してやったのに、とんだサプライズもあったものだ。
昨夜この部屋にエースを留めた、半日前の自分を褒めてやりたい。
ボディバッグのことを思い出さなければ、きっと今ごろ自分は一人で書類と向き合っていたに違いないのだから。

黒いハーフパンツ越し、硬い太腿は寝心地がいいとは言えないけれど、なにより愛しい恋人のものだ。
その体温と、太陽をいっぱいに浴びたようなエースの匂い。
この安らぎは、何にも替え難い。

す、とエースの手が髪に触れたのがわかって、いよいよマルコの意識が揺らぐ。
まるであやすように触れるそれは、いつもならマルコがしてやっているものだ。
やけに慣れた手つきなのは、弟にしてやっていたからだろうかと思えば、わずかに嫉妬も覚えるけれど。
眠らずに膝枕を楽しもうと思っていたのに、ほんとうに眠ってしまいそうだ。


「…………マルコ」


好きだよ。
小さく、ほんとうに小さく、耳に届いたエースの声。
おれもだ、と返せば、「さっさと寝ろばか」と可愛げのない台詞が返ってきた。
そんなところも可愛くて仕方がないのだとは、告げたらきっと膝から振り落とされてしまうだろうから、言わないけれど。
どうしようもなく愛しいのだと、そう思うころにはもう、夢のなかだったろうか。
懐かしい旋律が聞こえた気がする。
潮騒だったかもしれないし、もしかしたら、エースが歌っていたかもしれない。
マルコの記憶は、そこでぷつりと途切れている。



それから数時間の後だ。
空高く昇っていた太陽が、水平線の向こうに隠れて夜の帳が落ちるころ。
島のほうぼうへ散っていた白ひげ海賊団の面々が集まって、誰からでもなく盃を合わせる時分。

結局のところ、その後の二人がどうなったかと言えば。

マルコの寝顔を見つめるうちにエースの方も眠ってしまって、宴の時間を迎えても、揃って顔を出さない隊長二人。
色恋話が面白おかしく酒の肴にされるのは、まあ、お約束というもので。


fin.


『膝枕している』『まるえー』を描きor書きましょう。
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Twitter診断メーカーからでした!

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