葡萄酒が香る午前二時      10.11.29




どさ、と揺らされたベッドに、エースはがばりと身を起こした。
一瞬敵襲にでも遭ったのかと勘違いをしそうになったけれど、深い酒と、ほんのりと香る嗅ぎ慣れた匂いに、そうではないのだとほっと安堵の溜息を零す。

「マルコ……」

上体を起こしたエースの太腿に顔をうずめるようにして寝息を立てるのは、他でもない一番隊隊長殿である。
声をかけても身動ぎひとつなく、ぷんと香るアルコールにエースはうえ、と舌を出した。

「んだよ、あんた潰されたのかよ……」

呆れたように呟きながら、その後頭部をぺちりと叩く。
ついでにその特徴的な金色に触れれば、潮で傷んだ、わずかにぱさついた感触が指に残った。
つん、と引っ張ってみたけれど、目を醒ます気配はまるでない。
よほど深く呑んだのだろうか――……、無理もない。
今日はいつもの平和な航海とはほんのすこし違っていた。

広いこの海には、海図にも載っていない島がいくらでもある。
そのなかの小さな無人島で、白い鯨は休んでいた。
別にその島が未開の宝島だとか、珍しい果物が実っているだとか、あるいは酒が湧いているというのではない。
昼を過ぎた頃に届いた一通のカモメ便。
たまには顔を見せに行くからと、まったく気軽な立場を許されないはずの男から気軽な言葉が綴られていた。
グララと上機嫌に笑った親父殿は、さほど離れてはいないこの島を指定し、男――……赤髪を迎えることに決めたのだった。
陽が落ちてまもなく姿を見せたレッドフォースに一度は緊張態勢を取ったモビーディックだったけれど、すでに酔っ払った調子で高らかに挨拶するなり船首から転げ落ちたシャンクスを見て、あちら側の副船長含め、皆一様に呆れた溜息をついたのだった。
海水でずぶ濡れた格好のつかない男はにかりと笑って、いい酒が入ったからお裾分けだと言い放った。
それにわいたのは今度はこちらのクルー達で、一気に宴会モードに入った家族たちを止めることなど、さすがのマルコにもできなかったのである。

白ひげと赤髪とがそれぞれの腹心だけを連れてなにやら秘密の話がてらさほど人の目には付かない場所へ移動した後、モビーディックの甲板もレッドフォースの甲板もほどなく無法地帯と化した。
幸か不幸か、白ひげとマルコとともについていくことの叶わなかったエースは酒よりもやけ食いに没頭し、お決まりのごとく眠りについて、自室に放り込まれたというわけだ。


それからいったいいつまで馬鹿騒ぎが続いたのか知らないが、すっかり静まり返っているところをみると、どうやらすでに皆酔い潰れたらしい。
そんなにすすむ酒なら呑みたかったと唇を突き出したエースだけれど、酒には滅法強いはずのマルコがこうなのだ。
きっと今頃シャンクスも潰れているのだろう。
一度だけ彼と呑んだことのあるエースは、がばがばとハイペースで酒を流し込むシャンクスのそばで、涼しい顔で同じように酒を口にしていた副船長を思い出す。
いくら呑んでも酔う様子がなかったから、あるいは彼と親父に付き合っていて潰れてしまったのかもしれない。

「あんた、おれには限界まで呑むんじゃねェってうるせェくせに」

自分は呑んでんじゃねェかよ、ともう一度ぺちり、後頭部を叩いた。
そこでようやく気が付いたのか、くぐもった声とともにもぞりと重たい身体が身動ぎする。

「マルコ」

起きたのか、と問うよりも早く、エースの腰にマルコの太い腕が巻きついた。

「ちょ……ッ」

なにしてんだ、と慌てて引きはがそうとするのに、寝ぼけているくせに力が強い。
何度かもぞもぞと体勢を入れ替え、寝心地の良い場所を探すようだ。
やがて落ち着いたのか、またすうと深い寝息が聞こえてきた。

「あんッたなァ……」

まったく、酔い潰れるのも珍しければ、こうも素直に甘えてくるのも珍しい。
酒で理性がきかなくなった、なんて素面で嘘をつかれた経験は数あれど、こうして下心のひとつもなく触れられる経験は片手で足りる。
それだけ、マルコが気を張っている証拠でもあるけれど。
それがどうにも、悔しい気もしているのだ。

「……ったく。別にあんたのカッコ悪ィとこ見せられたって、嫌いになるわけねェのになァ……」

年上のプライド、というやつだろうか。まったく面倒臭い。
……けれどそこもまた、愛しいのだから不思議な話だ。


「……おやすみ、マルコ」


ぎゅうとエースを抱きしめて眠ってしまったマルコの、髪をくしゃりと撫でてやる。
いつもならエースがされることを、今日はエースがしてやるのだ。
仕方がないから、今夜はこのまま眠ってやろう。
マルコに毛布を被せ、自らも毛布をかけ直して身体を横たえた。
明日の朝起きたマルコの顔が、まったくもって見物である。
閉じた瞼の下、すこしだけ意地の悪い気持ちを忍ばせて、エースはゆるりと眠りに落ちた。


fin.


title:泣き給えよ

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