ぱらり。
すこしして、また、ぱらり。
書類をめくる小さな音だけが聞こえている。
黒縁の眼鏡をかけたその横顔は真剣だ。
いつも思うけれど、眼鏡をかけると硬質な色気が加わるのだから性質が悪い。
もともと色気に溢れているくせに、これ以上なにをどうしようというのだ。
下手に人を惹きつけないでくれよと身勝手なことを思いながら、エースは枕を抱え込んだ。
すう、と深く息を吸い込むと、香るのは彼の匂いである。
抱きついたときの温かさを伴う彼の匂いも好きだけれど、このいかにも残り香といった匂いも好きだ。
よく彼の脱ぎ捨てたシャツに包まって眠ってしまっては、恥ずかしいからやめろと怒られた。
サッチだとかイゾウだとか、事情知ったる彼らにニヤニヤと嫌な笑みでからかわれるからだと言っていた。
叱られたところで、それをやめられるエースではないが。
慣れたベッドの上、真っ白で、彼の好みらしくすこし硬めにこしらえられた枕をぎゅうと抱きしめる。
……やっぱり、安心する。
エースは無意識に深く息を吐いた。満足した溜息だった。
こんなにも満たされる気持ちなんて、彼に出会うまで知らなかった。
とろりと瞼が落ちかけて、エースはぱちぱちと瞬きをする。
危ない、今日こそはと思って部屋に来たのに、また眠ってしまうところだった。
このところ忙しい日が続いていて、碌に会話をする時間も持てずにいたエースである。
ようやくエースの仕事が一段落したかと思えば、今度は彼の方が忙しくなってしまった。
邪魔はしないからと頼み込んで部屋に入れてもらったのはいいのだが、
構ってくれるのを待つうちに、ついうとうとと眠りについてしまって、
起きたら彼がいないという失態をエースはこの2、3日繰り返していた。
ときに切なく、ときに胸高鳴って仕方のなくなる匂いだけれど、
彼の部屋にいて、彼の姿がそこにあって香る匂いは、やはりひどく安心するのだ。
眠くなってしまうのも仕方のないことである。
……でもやっぱり、すこしだけ、物足りない。
そっと外していた視線をエースは再び彼に向けた。
書類をめくる手は止まらなくて、判を押したり、サインを綴るその作業は忙しそうで、
ああやはり今日も構ってもらうのは難しいかもしれない、と、
先ほどとは違う意味の溜息をつきそうになったとき。
「……さっきからなんだよい、ずいぶん熱い視線送ってくれやがって」
驚きに瞠る視線の先、彼の青い目がエースをとらえていた。
ずっと彼を見ていたはずなのに、こちらへ視線を向けてくれたことにすぐには気がつけなくて、
エースは思わず抱きしめた枕に顔を埋めた。
なにをしているんだと彼が笑う声が聞こえたけれど、どうにも顔を上げられない。
ぼけっと見惚れていた、あるいは物欲しげにしていた自分の表情を見られたとあっては、エースでなくともなかなか恥ずかしいものがある。
すべて知っていて、からかうように言葉を投げてくる彼は本当に意地が悪い。
「どうした、なにか言いてェことがあるんだろい」
耳まで真っ赤に染めたまま、エースはふるふると頭を振った。
その様子はまるで枕にぐりぐりと頭を擦りつけているようで、見る人が見る人なら可愛くて仕方のない仕草だったのだけれど、
生憎とエースはそんなことには気づかない。
「エース」
苦笑をひとつ、彼はエースを呼んだ。
その優しい声に、エースはおずおずと視線を上げる。
その先で、促す瞳は声と同じように優しい。
どうやらひとまずエースをからかうことは後に回してくれたようだ。
話が進まないと判断したのだろう。彼は頭が良い。
からかいすぎて頑なになったエースの口を開かせるには時間がかかるし、普段ならその時間さえも楽しむ彼だけれど
今日はいかんせん抱えている書類が多い。つまるところ、楽しめるほどの時間がない。
ならば自分が折れた方が早いと決断できるのが彼の良いところであり悪いところだ。
きっと仕事が片づいた後、彼にはさんざっぱらからかわれることになるだろう。
それでも、せっかく彼がくれた甘えられる機会だ。
許可されるか却下されるかは別として、口にするくらいは許されるはずだ。
許されてくれなければ、困る。
それくらいにはエースはいま餓えていた。
じっとこちらを見つめる青色を恥ずかしげな黒曜石が見返して、
「ちゅーしてもいいですか」
顔の下半分、枕に埋めてもごもごとした声のまま。
エースが口にした問いかけに、彼はわずかに驚いて、にやりとエースの好きな顔で笑って、
彼は書類をめくる手を止めてくれたのだ。
席を立ってベッドへ近づいてくる彼を待ちきれなくて、跳ね起きた拍子にごつんと頭をぶつけてしまったのは、
――――……まあ、いわゆるご愛嬌である。
fin.
10.07.08〜WEB拍手掲載
"ちゅーしてもいいですか"
title:Endless4
深夜テンション恥ずかしい
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