「……この毛並みはなんて言うんだろうな」 「頭湧いてんのかユースタス屋」 人質ならぬ物質に奪られたのは、ふわふわの触感が気に入りの帽子だった。 ふわふわもこもこしたものに弱いローが、ついキラーの髪を引っ張ってしまったことに起因する。 そもそも敵船の船長同士がこうも慣れ合っていいものかと思うが、今日も今日とてキッドの船までローが足を運んだのが始まりだ。 キッドの船長室にある椅子はローの気に入りである。 座り心地のいいそれにもたれて昼寝をするのが、ここ数日ローの日課になっていた。 同じく船長室にいるキッドはといえば、キラーとチェスを愉しみながらローの寝顔を盗み見るのが日課だった。 いつもと同じように浅い眠りから醒めたローの、目の前にあったのはいつもと違う背中だった。 見慣れた赤いコートに手を伸ばそうとしたはずが、そこにあったのは窓から吹き込む海風に揺れる長い金髪だ。 キッドよりも幾分細身だが、がっしりと鍛えられたその背。 水玉模様のシャツにもありすぎるほどに見覚えがある。 「キラー、屋……?」 「ん?ああ、起きたのか」 ローの声に振り返る、その仮面は間違いなく殺戮武人と称されるキラーのものだ。 いつもならキラーの座る場所にはキッドがいるのだが、今日は交換でもしたのだろうか。 その割に、キラーの向こう側にも派手な赤は見えなかった。 「キッドなら外に出ている。すぐに戻るが」 「外……?」 「無粋な客だ。暇つぶしにもならんだろう」 どうやら無謀にも、キッドの船まで乗り込んできた賞金稼ぎがいたようだ。 馬鹿だなァ、とぼんやり霞む頭で思いながら、ローはのんびりと欠伸をした。 「ユースタス屋の首がとれるわけねェのになァ」 「……おまえに言われるのも妙な気分だな」 「フフ……夢半ばで首もってかれるような奴と寝る趣味はねェよ、おれも」 にぃと口角を上げれば、返す言葉に困ったらしいキラーは聞こえよがしの溜息をローに聞かせた。 「キッドも本当に物好きだ」 「ああ、それはおれも思う」 何もおれに引っかかることはなかったんだ。 ローがそう続ければ、余計に分からないといった様子でキラーが首を振った。 何か飲むかと珍しい誘いをもらったところで、外から聞こえた悲鳴。続いて水音がみっつ。 掃除は終わったようだが、悲鳴をあげられるということは、つまるところ生かしてあるということだ。 海に放り込んだようだから、相手が能力者でなかった場合に限るが。 「五分か……案外時間をかけたな」 「遊んでたんだろ、ご機嫌に」 「で、何か飲むか」 キッドもいるだろうから、ついでに持ってきてやる。 そう言って立ち上がったキラーに、眠い目を擦りながら手を伸ばす。 そうしてキラーの髪を一房掴んで、ローはくいと引っ張った。 「……?」 「結構、猫っ毛なんだな、キラー屋」 つんつんと幾度か引っ張って、指先に絡める。 男の髪だけあって少々傷んではいるが、馴染みのある感触だ。この船にローの気に入りがひとつ増えた。 「おい、放せ。キッドが戻る」 「一度触ってみたかったんだ、キラー屋。やっぱりユースタス屋とは感触が違うな。おれの好みだ」 「な……」 「なにが好みだって、トラファルガー」 「あ」 どこから聞こえていたのか、派手な音を立てて開け放たれた扉の前に、キッドの姿。 相変わらずの赤いファーをはおり、眉のない眉間には皺と、額には青筋を浮かべている。 思わずキラーの髪から手を離したローの元へつかつかと歩み寄ってきたキッドは、ローが深く被った帽子を手荒に奪い取った。 「てめっ、ユースタス屋!」 「これ持ってしばらく外出てろキラー」 「………分かった」 返せと伸ばされる手からキラーが逃れ、キッドがローの手の行方を遮る。 キッドと同じように額に青筋を浮かべ始めたローをよそに、キラーがキッドに声をかけた。 「とりあえず、いまはまだ昼だぞキッド」 「あァ。真昼間だな」 「……分かってるならいい」 呆れた溜息を残してキラーが退室すると、キッドはローのパーカーの胸元を鷲掴み、乱暴に唇を塞いだ。 思わぬ力で引き寄せられたローが瞠目し、身体を捩るのにも構わない。 肩のあたりを叩く力はさすがに男のそれだが、伊達にキッドも鍛えてはいない。 なんにしろ、元来快楽に弱いローがいつまでも抵抗できるものではないし、キッドもそれを知っていた。 「…………ぅ、」 やがて諦めたように歯列を割ったローに遠慮はいらず、キッドは好きにローの舌を貪った。 もちろん、互いに本気にならない程度にだ。 釘をさされた直後では、さすがにキラーの愛剣の餌食になりかねない。それは御免だった。 ローは表面上の体温が低いが、そのぶん内部の温度は高い性質らしい。 絡め取った舌はひどく熱かった。 キッドの口内まで導いてきつく吸い上げると、ローの背が震え、入れ墨の覗く腕が粟立つのが見えた。 「………で?」 いい加減苦しそうにしていたローを離すと、酸欠なのかトリップなのか、虚ろな視線が向けられる。 キッドの問いの意味は理解できていないに違いない。 余計な抵抗がないうちにと、キッドは体勢を入れ替えた。 どかりと腰を下ろしたのは、もちろん慣れ親しんだ椅子だ。 ローは座っていた場所を奪われ、今はキッドの膝に抱え上げられていた。 「お、い……!」 ゆるゆると抵抗するローの腕もやんわりと押しとめて、キッドはローの首筋に顔を埋めた。 ぴくりと反応したローの抵抗は、結局キッドの腕に爪を立てるだけに終わる。 なんだってこんなガキみてェな、とローは内心歯噛みするが、抱えた側のキッドは実に満足そうだ。 「なにが好みだ、っつった?」 「……忘れた。」 さきほどのキッドの問いをようやく解したらしいローが、視線を外してふてくされたように言う。 その言葉に上等だと返したキッドが、白い首筋をひとつ噛むと短く揃えられたローの髪を梳き始めた。 「しっかし不思議な色してやがんな。黒じゃねェし、藍色…ってもなぁ、暗いとこで見っと黒ェし。この毛並みはなんて言うんだろうな」 「頭湧いてんのかユースタス屋。いつでも穴空けてやるぞ」 「帽子」 「……とっとと返せ」 「まあ、膝抱きに飽きたらな」 ち、と憚りもしないローの舌打ちに、キッドは愉しげに肩を揺らした。 施される愛撫を享受していたかと思えば爪を立て、従う素振りで逃れる機会を窺っている。 なにしろちょっと目を離した隙に、この手を離れて目移りするのだから奔放なものだ。 口を開けば憎たらしいこの男が、それでも気にかかって仕方ない。 「……やっぱり首輪つけとくか」 「あ゛ァ?」 「てめェを飼い殺してやりてェっつってんだ」 そう口にしたキッドの赤い瞳と、ローの薄茶の瞳がわずかな間交差する。 からかうような口調でいて、キッドの瞳に映るのは狂気だった。 そうしてぞくぞくと、背を撫でる感覚にローは気づく。 這い上がるそれは、紛れもなく暗く深い悦楽だ。 「………やってみな」 不穏に笑う、けれどその唇には艶が浮かぶ。 その笑みに、やはり猫はこうでなくてはつまらないと目を細めるキッドだ。 ゆるりとパーカーの裾から指を滑らせ、薄っすらと噛み痕の残ったローの首筋に再び歯をたてる。 ひくりと喉を喘がせた後、ローは掠れた声で鳴いた。 ――――― 一方。 案の定、自分の忠告を無にした船長に嘆息ひとつ。 他のクルーが近づかないようにと扉の外で座り込み、耳を塞いで帽子を預かる、キラーはやはり苦労人だ。 fin.
妙な方向へWild Catを引きずりました。 いつだってキラーは苦労人です。 << Back