Shout at the DEVIL      09.011.03無配 10.03.15掲載



硝子の砕ける派手な音がした。
次いで、悲鳴と怒号。
無法地帯というのはこれだから困る。
たまには静かに呑みたい日もあるというのに。
のんびりと酒瓶を口に運びながら振り向けば、可哀想な男が店の窓と熱烈なキスをかましたところだった。
背中を後押ししてやったらしい男は、悪そうな笑みを浮かべて右手をひらひらと振っている。
テーブルの上には厭味なほど長い脚を乗せて、左手にはウォッカのボトルを握ったままだ。
その爪はどす黒い赤に塗られていて、男自身、毒々しい赤色に彩られている。
人の目を惹く、鮮烈な色だ。
男が誰か認識したローの瞳が、わずかに瞠られた。

ユースタス・"キャプテン"キッド。

南の海からその悪名を轟かせた海賊である。
上陸しているのは知っていたが、まさかこんなところで出くわすとは思ってもみなかった。
海賊というのは安っぽい酒場が好きなものだと相場が決まっているのだろうか。
高い酒場で裸に近いオネエチャンでも侍らせている方がずっといやらしくて似合うのに。
そう思うと少しだけ残念で、ローは唇を歪めた。
キッドが連れているのは一人だけだ。
その男も殺戮武人として名を知られた戦闘員だったが、二人だけならどうにかできるとでも思ったのだろうか。
だとすればずいぶん可哀想な出来の頭である。
あの二人が揃っているなら、自分でもあまり喧嘩を仕掛けたいとは思わないものだが。
命知らずというのはどこにでもいるらしい。
ロー自身、この店に歩いてくるまで何組かの賞金稼ぎに狙われた。
自分を討ち取って名を上げたいらしい同業者にも、何度か。
このシャボンディ諸島には現在、目的を同じくする賞金首どもが大勢集結している。
中でも億を数える自分は格好の獲物なのだろう。この首をくれてやる気はないが。

この程度の騒ぎにはすっかり慣れているのか、店主に取り乱す様子はない。
ただ窓に突っ込んだ男は半身を外に乗り出したままぴくりとも動かないし、そいつの席にいた女は店の外に逃げ出してしまった。
奴隷じゃなかったのかと訊ねれば、いつのまにかこの店を餌場にしていた娼婦だと言った。それもよく聞く話である。
納得して頷くと、今度はテーブルのひっくり返る音だ。
再びちらりと視線を戻せば、どうやら哀れな男の仲間が勇敢と無謀とを取り違えたらしい。
キッドの向かいで酒を口にするでもなくただ過ごしていたキラーに、暇潰しよろしく斬り伏せられたようだ。
袈裟がけにすっぱりと斬られた傷には無駄ひとつなくて、ローはわずかな間それに見惚れた。


「次は?またボトルにするかい?」

まだ酔ってはいないだろうと笑う店主の声にはたと我に返り、咥えていたボトルに目を落とす。
ああ、ラム酒がもう空だ。
いったい何本目だったか。
ベポとペンギンが揃ってコーティング職人のところへ行ったのをいいことに、キャスケットを撒いてここへ来たのが昼の三時過ぎだ。
空の色を見るに、そろそろ六時にはなるだろうか。
あの二人に脱走がばれるのは面倒だし、キャスケットを泣かせるのも、まあ愉しいが忍びない。
ぼちぼち船へ戻ってやろうかと、紙幣を出しながら腰を浮かせたところで、

「船長!!いた!見つけた!」

半泣きの情けない声が聞こえた。
思った以上にベポとペンギンの戻りが早かったらしい。
でなければキャスケット一人に自分の居場所を見つけられるはずがない。
それはローのプライドが許さない。
どたどたと板張りの床を踏みつけながら酔い潰れた店の客たちを掻き分けて向かってくる男に溜息が漏れた。
悪目立ちも良いところだ。

「もー!勝手にいなくなって!おれ超怒られたんスからねペンギンに!!」

カウンターに向かっていたローの右隣に陣取って、マスターお茶!となかなかの無茶振りをするのはローの船で一番陽気な男である。
ついでに、一番空気を読まない。
いま彼の目に映っているのはローの姿だけであって、入口付近にいたあの赤と金の派手な二人組であるとか、店の惨状であるとかは認識されていないのだ。
当然、赤い瞳がこちらを向いたことにも気づいてはいなかった。
ゆらりと、その赤い色が動くのをローは視界に捉えた。
キラーがなにか制止の声をかけたようだったが、男に聞く気はないらしい。
立ち上がったキッドは、真っ直ぐにローの座る席を目指していた。


キッドのブーツが立てる硬質な音は耳に心地良かった。
狭い店内では、あの長いコンパスで五歩も歩けばすぐに傍まで来れてしまう。

「よォ」

ローの左隣にどっかりと腰かけ、赤く塗られた唇が歪んだ笑みを形取った。
初めて耳にするテノールは、なんとも自信に満ちてふてぶてしい。しかし妙にそそる声質だ。
ようやくキッドの存在に気がついたのか、キャスケットがひっと引き攣った声を上げてフリーズした。
ちらりと視線を走らせたが、キラーに動く様子はなく、じっと視線を注ぐばかりである。
ただし、いつでも斬りかかれるように身体の重心が傾けられていた。おそらく既に間合いの中だ。
もちろん能力者であるローの間合いの中でもあったが、単純動作だけで物を言うならきっとキラーの方が速い。
理解したうえで、ローは慌てるでもなく薄い笑みを浮かべた。
するとまるで奇妙なものでも見たように、マスクの下のキラーの視線がわずかに逸らされたのが分かった。
そんなローの横で、最後の一口だったのかウォッカをぐびりと一呑み、深く息をついたキッドが言葉を継いだ。
液体を嚥下する喉の動きひとつとっても、勘に障るほど様になる男だ。

「……トラファルガー・ロー……北の、二億の首だったか」
「あァ。ご存知とは光栄だ。……手配書で見るよりいい男だな、ユースタス屋。……おれの好みだ」

からかい半分、本音半分。
ぴくりと寄せられた眉間と浮く青筋に、知らず笑みが浮かぶ。
いかつい見た目に反して、案外素直で可愛い男らしい。


参ったな。
こういう男はからかい甲斐があって困る。


元来享楽主義のローだ。愉しいこと、気持ち良いことには人一倍貪欲で、その自覚くらいは持っている。
人をからかうこともまた、ローが好む遊びのひとつだった。
船長、とキャスケットがローの袖を引いている。キッドの瞳に走った殺気で、どうやら金縛りが解けたらしい。
ここで騒ぎでも起こそうものなら、船に帰ったときの小言がひとつ増えるのだ。
ローの暴走を止められなかったキャスケットももちろん、その餌食である。
ローの身を案じてか保身を図ってか知らないが、どちらにしろそんな弱い意思表示でローが止められるはずもない。
キッドがローの襟元を掴んで引き寄せても、ローの笑みは崩れなかった。


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