2013.05.25 全力少年 03.喉(欲求)




一緒にいて会話がなくても居心地が良い、というのは貴重な関係だと思う。
決して互いの存在をないものとしているわけではなく、むしろぴたりとくっついているくせにお互い違うことに熱中している、と言った方が良い。
青峰は読み癖が付いてよれよれとしたグラビア雑誌、黒子は青峰自慢の蔵書でもある海外のバスケット雑誌。
ベッドの上、仰向けに寝転がる青峰の腹に雑誌を置いて、黒子が青峰の上に寝そべる体勢は、二人の間ではもう定番。
黒子一人の体重くらい、青峰にはあってないようなものである。
ときどき、気を抜くと互いにこの体勢のまま寝入ってしまって、起きるとブランケットがかけられていたりする。
世話を焼いてくれているのは黒子がいることを知って忍び込んできた桃井か、それとも仲互いして遊びにこなくなってしまった黒子を残念に思っていた母親か。
どちらにしろ、近すぎる二人の距離に彼女らはいまさら疑問を持つ余地もないらしい。

ほとんど雑誌に顔を付けるようにして、珍しく文字ではなく写真ばかりを追っていた黒子がわずかに頭を上げる。
そのまま薄いカーテンの引かれた窓の向こうに視線をやって、はぁ、と小さく溜息を吐いた。
気が付いた青峰が視線は雑誌に固定したままなだめるようにぽんぽんと背を叩くと、再び黒子の頭が沈む。
それからぐりぐりと貸し出した腹に額を擦りつけるように甘えられて、青峰は声を出さずに笑った。

「テーツ、」

くすぐってえよ。
優しく、まるで制止を促す気のない声音で言えば、頭を擦りつけるのだけはやめた黒子がぎゅうっとTシャツの裾にしがみつく。
拗ねた子どもがするようなそれに、やはり青峰は肩だけ揺らして笑うのだ。
その振動にも少しばかり機嫌をそこねて、黒子がとがった唇で言う。

「……つまんないです」
「仕方ねえだろ。降っちまったもんはどうしようもねえよ」
「…せっかくキミとバスケが出来ると思ったのに」
「バーカ、またいつでも出来んだろ」

癖の付きやすい柔らかな髪を手櫛で梳かし、ついでに形の良い耳をくすぐりながら言って、青峰もまた窓の外へと視線を向けた。
ひとつ、ふたつと現れては流れて消えていく小さな水の粒。
耳を澄ませば聞こえてくるのは、細く静かに降り注ぐ雨の音。
今日の都内は、生憎の雨模様だった。

* * *

昨日は金曜。
土曜は部活が休みだから、久しぶりにストバスに行こうと約束をして、青峰と黒子は放課後マジバで落ち合った。
二年に上がってからは真面目に部活に出るようになった青峰だが、授業の方は相変わらずさぼりがち。
出席も成績も留年ギリギリで進級したというのに、本人に態度を改める気はないらしく、必然、彼のそばにいる人間が面倒を見ることになった。
普段の小テストは桃井が、試験前には赤司から恐ろしいほど良く当たるヤマの張られた問題集が、試験当日には緑間のコロコロ鉛筆が。
それから、援護射撃は同じく都内に住んでいる黒子が受け持っている。
国語以外は綺麗に平均の黒子だったが、青峰に勉強を教えるようになったのが自分の復習にも良かったか、その成績は上がりつつある。

「部活の後で腹が減っているから勉強は後だ」と、早速テキストを取り出しかけていた黒子を伝家の宝刀バニラシェイクで黙らせて、テリヤキバーガーとメガポテトに齧り付いた青峰である。
そのまま積もる話に花を咲かせているうちに課題をこなす時間がなくなって、「泊まりに来い」と黒子を自宅に引きいれたのが事の顛末。
マジバに来るまでに立ち寄って購入していたらしい好きな作家の新刊を読む時間がなくなった、と拗ねる黒子をどうにかなだめすかして、青峰は桃井に押し付けられた課題をこなした。
日付が変わる頃には眠そうな顔をし始めた黒子を風呂に入らせて、その間に布団を出してやって、ついでに徒歩圏内のコンビニまで一っ走り。
買ってきたポカリを冷凍庫に突っ込んでキンキンに冷やして、風呂上がりの黒子になんでもない顔で差し出せば、「ありがとうございます」と小さく微笑まれた。
それだけで夜道をあくせく走った甲斐があったと思ってしまうあたり、我ながら安い男だと青峰は苦笑する。
仕方がない。滅多に表情を変えることのない黒子が、自分のする小さなことで笑ってくれる、それだけでどうにも幸せになってしまうくらいには黒子に惚れているのだから。
風呂に入って、黒子に渡したポカリを少しばかり失敬して、背もたれはベッド、顎置きは黒子の頭、小柄な身体を背中から抱き込んで、BS放送のNBA中継に二人して心躍らせた。
中学の頃よりはしっかりと筋肉の付いた、それでもまだ出来上がりきらない身体は相変わらず抱き心地抜群で、白いうなじに張り付くしっとりと濡れた髪に煽られ、噛みつきそうになるのを必死で堪えたのは青峰だけの秘密である。
明日はストバスに行く約束なのだ。万が一にもここで手を出して、明日の黒子が動けないような事態にでもなれば、バニラシェイクではご機嫌が取れない。
青峰が自覚している以上に、黒子は青峰と、それから青峰とするバスケに重きを置いてくれている。
中学の頃、自分がああして諦めてしまわなければ、今でも相棒としてバスケを楽しむことが出来ただろうか。
そう思えばちくりと胸が痛まないではないけれど、あの確執があったからこそきっと今の関係がある。
望む中の、その最高の形で黒子が隣にいてくれることに、なんだか胸がむずむずした。
たぶんこれが、「愛しい」という感情なのだ。
もうすでにそこも突き抜けている気がするけれど、青峰はこれ以上その感情を表す言葉を知らない。

NBA中継に嬉々として魅入っていた黒子だったが、その頭がぐらぐらと揺れ出すまで長くはかからなかった。
青峰にすっぽりと抱え込まれていることも安眠に一役買うのだろう、相変わらずの体力のなさと無防備さに笑う。
それでもこうして部活の後でも夜中まで起きていられるようになったあたり、少しは成長したのだろうか。

『眠ィんだろ。ムリすんなよ』
『むりじゃないです、おきてます…』
『試合なら録画してっから』
『ちがいます…そうじゃ、なくて…』
『ん?』
『……あお、…』
『テツ…?』
『………』

すー、と健やかな寝息が聞こえてきて、青峰の頬がふと緩んだ。
昔から、寝入るときは唐突なところも変わっていない。
数分前まで素面で話していたと思ったのに、次の瞬間にはもう舌足らずになって会話が怪しい。
中学の頃にはそれを目にした黄瀬が「黒子っちマジ可愛いっス!!」と叫んで写メを連射するのが茶飯事だった。
それをぽかりと一発殴るのは青峰の役目、きゃんきゃんと噛みつく駄犬を羽交い締めにするのは紫原の役目、写真のデータはきっちり自分の携帯に移したうえで、黄瀬の携帯からデータを削除するのが赤司の役目だった。
緑間は尻尾をまるめて落ち込む黄瀬のなだめ役だ。ずいぶんと辛辣な物言いをしていたのはオフレコだが。

露わになった額は懐かしい日々を思わせるくらいには幼くて、可愛い。
食べごろなそこにひとつ小さく唇を落として、青峰は黒子の身体を抱き上げた。
そんなことにもすっかり慣れて、どうすれば黒子の寝心地が良いか、青峰の腕はもう知っている。
そのまま用意した寝床に下ろしてタオルケットをかけてやり、さて自分もベッドに潜ろうかとしたところで、つん、と小さな抵抗があった。
なんだと振り返ってみれば、黒子の指先が青峰のスウェットを捕まえている。

『テツ?…テーツ、』

起きてんのか、と小さく問うてみても、黒子の寝息は穏やかなばかり。
早くも毛先には癖が付き始めていて、どう考えても彼は眠っていた。
それでも無意識に自分を捕まえようとしたのかと思えば、頬の緩みは止まらない。
形だけは黒子の指を外そうとあれこれしてみた青峰だけれど、結局はその指に自分の手を絡めて、再び黒子の身体を抱き上げる。
安心しきって眠る黒子を横たえるのは、日々寝起きしている自分のベッドの上だ。
来客用の布団では、二人一緒だとはみ出してしまう。
大柄な青峰に合わせた広めのダブルベッドは、誕生日やクリスマスのプレゼントはいらないからと言ってねだっただけあって寝心地が良いのが自慢だった。
万が一にもベッドから落ちないように黒子を壁際に寝かせると、もぞもぞと自分が落ち着く場所を探す様子。
そっと肩を抱いて抱き寄せれば、すっぽりと腕の中に収まって安堵したような溜息をひとつ。
青峰が寄せた手のひらに、まるで猫のようにすりと頬をすり寄せて、黒子は再び深い眠りに落ちていった。

きっと黒子はひとかけらも覚えていないだろう、夜の出来事。
口を噤むことくらいは許してほしい。
彼がくれる小さくて大きな幸せを、青峰は独り占めしたいのだから。

* * *

「…明日は、青峰君のところは部活ですか」

ぽつ、と小さな声で話しかけられて、青峰は意識を戻した。
気が付くとついつい思い出し惚けをしてしまうから我ながら手に負えない。
黒子に悟られぬよう、雑誌のあちらこちらに視線をさまよわせるふりで答える。

「ん?あー…、そだな、まあ午後からだし、軽い筋トレくれえだけど」
「……そうですか」

それじゃ明日晴れてもストバス行けませんね、と残念そうな声で呟いた黒子がまた青峰の腹に顔を埋めて憂鬱な溜息を吐いた。

「ストバス…って、おまえんとこは?あるんだろ、部活」
「いいえ。さっき、カントクからメールが届いて」
「は?」
「ほんとは今日、体育館の屋根の錆止めを塗り直して、ついでに館内も総点検するからって休みだったんです。それが、この雨で明日に流れてしまったらしくて」
「マジかよ……」

はあ、と今度は青峰が溜息を吐いた。
読んでいた雑誌はぽいとそばに投げ置いて、片手で目もとを覆って嘆く。

「んだよ…、せっかく昨日はガマンしたのによ」

そうしてぼそり、呟いて、耳に届いた己の声にはっとする。
いまさら堅く口を閉ざしてみてももう遅い。
必死で押し殺したはずの心の声は、青峰の口から転がり落ちた後だ。
つ、と冷たい汗がこめかみを伝って、コクリと小さく息を飲む。
「真っ昼間から何考えてるんですか」と冷たい視線で罵られることを覚悟して、おそるおそる黒子の方へと視線を向ければ。

「………ばかですね、キミは」
「へ、」

きょとりと一瞬目を見開いた後、仕方がないなと呆れたような色を浮かべた水色の瞳が、なぜかふわりと和らいだ。
その反応に虚を突かれたのは青峰の方だ。
怒んねえの、と問うよりも速く、黒子は青峰の腹に置いていた雑誌を誰かと同じようにぽいと投げ置いて、ずりずりとほふく前進よろしく青峰の身体の上をずり上がってくる。

「ちょ、おいっ、テツ、」

間近に迫ってじっと見つめる瞳にちらちらと見え隠れする熱情にはなんだか見覚えがある気がして、青峰の胸がドクンと高鳴った。
高鳴ったついでに集まってはいけないところに血液が集まりそうで、青峰は内心だらだらと冷や汗を流す。
そんな青峰の様子を知ってか知らずか、ふ、と悪戯に目を細めた黒子がわずかに口角を上げた。

「テ…ッ、…!」

かぷり。
名前を呼びきるより先に、まるで仔犬が甘噛みするようなやわらかさで喉元に噛みつかれて、青峰は思わずゴクリと喉を鳴らす。
上下した喉仏をくすぐるように黒子の薄い舌が辿って、ぶるりと肩を震わせた。

「……だから、キミはばかだって言うんです」


――――我慢したのが、キミだけだとでも思ってるんですか。


告げる声も、見つめる水色の瞳も、確かな熱を孕んでいて。

「お、まえ……」
「ボクはこれでも、キミと同じ男なので。…好きな人が目の前にいたら、狼にだってなるんですよ」

知りませんでしたか、とくすり笑って、情けなくも固まった青峰の唇に、ちゅうと小さく口づけをくれる。
幼子がするようなフレンチキスなのに、触れたそこがじんじんと疼く。
すっかり負けた気分になって、青峰は眉を垂らしてへにゃりと笑った。

「……まいった」

オレのカレシ、男前過ぎだろ。

言って、ぎゅうと抱きしめれば、「当然です、キミのカレシですから」と笑う黒子が同じ強さで抱き返してくれる。
それにたまらない気持ちになって、今度は青峰からキスを贈るのだ。

このまま雨に紛れて彼を抱いてしまっても、今日はお咎めはないらしい。
―――さて、どうやって可愛がってやろうか。
百年の恋も冷めそうなことを頭の隅に浮かべながら、あとはただ、触れる唇に溺れるばかり。

しとしとと降り続く雨は、ただ彼らの幸福だけを祈っている。





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