2013.01.19 湯あたりには注意しましょう。




冬季名物青黒だんごの続きです。


標高が高いのを利用した宿の自慢は、雄大な山々と遠い街並みが一望できる天空露天風呂。
ゴツゴツと大きさの揃わない天然の岩を無造作を装って細やかに配置し、雨の日でも気兼ねなく愉しめるようにと四阿(あずまや)造りになったそこは、二十人ほどが一度に浸かってもまだ余裕のありそうな広さだ。
湯船と展望とのわずかな間にもこだわりのある枯山水の坪庭が洒落ている。
ざばざばと惜しげなく溢れ出る湯は、源泉掛け流しの贅沢さだ。
一番乗りを果たしたのはここでもやはり誠凛の面々で、小金井や木吉を筆頭に、降旗や福田といった一年連中が続いて広い湯船にぎゃあぎゃあと盛り上がっている。
うるせえおまえら!!と怒鳴り散らす日向も声音に反して表情は楽しげだ。
ハードな練習の後だというのに落ち着きのない同輩やら先輩やらに笑って、桶に湯を汲んで浴びてから、火神は「あちち」と湯船に沈んだ。



「ッあー、キツかった!!!」

ざばんと湯を波立たせ、盛大に溢れさせながら身を沈めて大げさに天を仰いだのは、遅れてやってきた高尾である。
「湯船には体を流してから入るのだよ!」と浴場でもなお眼鏡を外さない緑間が小言をよこすのに「ごめぇん」と甘えた声で謝って、高尾は少し離れた場所で大きな御影石に背を預け、脚だけ温泉に浸からせて小休憩を取っていた火神に向き直った。

「よー火神、お疲れさん。なあなあ、誠凛ていっつもあんな練習ばっかしてんの?もしかしておまえらの馬鹿みたいなスタミナってそっからきてるわけ?あちらさんはすげえはしゃいでるみたいだし」
「おー、まーな。だいたいカントクはいつもあんなんだ。馬鹿みてぇは余計だけどな」

いつぞやの合宿で学んだのか、さすがにもう海パンは穿いていない火神がちらと視線をよこして応える。
そりゃきっちぃや、と苦く笑いながら、高尾は惜しげもなく晒された火神の上半身を眺めた。
自らもそれなりに鍛えている方だと思うが、火神の体躯は同じ男としてやはり羨ましい。
恵まれた長身に、いっそ暴力的なまでの食欲からつくられた体は、けれど無駄な肉などひとつもついていない。
緑間も鍛えていると思うが、彼の場合、すらりとした印象の方が強い。
火神は緑間とはまた違った骨太さがある、正に筋肉質といった感じなのだ。
なかなか細身の印象を抜けられないコンプレックスをじりじりと刺激されて、オレももうちょっとメシ食おうかなぁ、と湯に浸かったまま高尾はぐっと伸びをした。
軋むほどとまでは言わないが、やはり全身にずしりと圧し掛かる疲労は隠せない。
これが春休みの終わるギリギリまで続くかと思うと、安息日を挟んでも回復できるのだろうかと少々頼りないことを思うのだった。


「火神火神!そういや黒子は?」
「あ?あー、ちょっと休んでからくるっつってた…です」

ばしゃばしゃと半分泳ぐようにしてやってきた小金井が火神に訊ね、納得の返答をもらって頷くとまた喧噪の中に混じっていく。
いまはどうやら、湯の中にどれだけ潜っていられるかを競っているらしい。元気なことだ。
心地良さにふわふわと緩む思考の中、そういえばあの水色が見えなかったな、と高尾もぼんやり思い至る。

「テッちゃん、途中っから潰れてたっけ?」
「いつものことだよ。そんでも、オレでもキツイあのメニュー全部こなしてる」
「そこがすげぇよなぁ、テッちゃんは」
「ふん、当たり前だ。奴もまた人事を尽くしている」
「あーれぇ、なになに真ちゃんそれデレ?デレっしょ?ちょっとー、オレ妬いちゃうんだけど!」
「日本語は正しく使うのだよ高尾…!」

心底楽しそうにニヤニヤと、嫌な笑みで緑間をからかう高尾に火神もまた笑いながら、もう一度湯船に浸かった。
アメリカのホットスプリングやスパにはさほど頻繁には出向かなかったが、日本の温泉はアメリカと違って落ち着ける。
景色は良いし、空気は良いし、岩風呂にも風情がある。別の階にあるという檜風呂も楽しみだ。
これが和の空気というものだろうかと、幼い頃には親しみ損ねたそれに火神はほんわりと酔った。

「おー、さっすが赤司っちの采配!ね、広いっスねぇ先輩!」
「うおおおお!!!こ(れ)ぁすげえ!!」
「うおー!こりゃ豪華だな桜井!」
「スミマセンシャンプー持ってくるの忘れましたスミマセンスミマセン」

徐々に桐皇や海常の連中も姿を見せ始め、賑わいは更に大きくなっていく。
サウナへ行くと連れだって露天風呂を後にする者、別の風呂に行くとはしゃいですっ転ぶ者、やれフルーツ牛乳だコーヒー牛乳だと盛り上がる者。
減っては増え、減っては増えを繰り返してメンバーを入れ変えつつ、夕食まではすることもないからと温泉を堪能する一行であった。


◇ ◇ ◇


「……遅いっスねぇ、黒子っち」
「そういえばオレたちが来てからもそろそろ30分になるのだよ」
「火神ィ、そろそろテッちゃん迎えに行かなくて平気ー?あんまり遅いと夕飯の時間になっちまうぜ!」

つい先ほどまで美容美容、なんてモデルっぽいことを呟きながら温泉を愉しんでいたはずの黄瀬がそわそわと落ち着きを失くす。
そんな黄瀬の呟きに反応したのはなんだかんだと隣に座ってあれこれ相手をしてやっていた緑間で、更にはそこに高尾が乗っかった。
もう上がる、と言う度に引きとめられて、生来のお人よしゆえか後発組の三人に付き合いつつ再び岩場で涼んでいた火神が、高尾の問いに顔を向ける。

「確かにちょっと遅ぇけど…たぶん、心配いらねーよ」
「? どゆこと?」

火神の言葉の意味を測りかねて高尾がくてんと首を傾げた、ちょうどそのとき。


がらり。


響いた引き戸の開閉音に、ようやく待ち人が来たかと反射的に入り口に目を向ける。
そうして目を向けた面々が、みな一様にぴしりと固まった。

「あ?…んだよ、まだこんなにいんのかよ…」

時間ずらしてきた意味ねえじゃん、と独りごちる、思わず聞き惚れてしまうような低い声音は青峰だ。
湯にも浸からぬ肌を晒したままではこの露天風呂は寒いだろうに、そんな気配を微塵も感じさせずゆうゆうと踏み込んでくる。
入ってきたのが青峰だけならこうも空気が固まることはなかったのだろうが―――鍛えられた逞しいその腕には、ぐたりとした黒子が抱えられていた。

「あおみねくん、はなし…ぼく、あるけます…」
「嘘つけ。誰だよ汗流してぇけど立ちたくねぇとか言って手ぇ伸ばしてきたの」

どうにか、といった体で顔を上げる黒子に呆れた表情を向けて、青峰は黒子の要求をあっさりと却下する。
そうして慣れた手つきで黒子の身体を抱え直し、異様な空気には構うことなくすたすたと掛け湯へ向かって行った。


え、その荷物どうしたの、てか黒子すげえふにゃふにゃしてるけど平気なの、そんなんで服脱げたのっていうかもしかして脱がせたの?誰が?青峰が?
手ぇ伸ばしてきたってどういうこと、あの小さい子がやるような「抱っこして」のポーズでもしたの?黒子が?黒 子 が ?


ざあ、と流れる湯の音を聞きながら、誰ひとり言葉を発せないままで、けれど瞳は雄弁だ。
交わし合う視線で取るコンタクトは、試合のときよりずっと性能が良い。
嫉妬や羨望を通り越していっそ芸術だと思えるほど完成された身体は、正にバスケット選手の理想そのものだ。
必要な筋肉が必要な部分に必要なだけ付き、カントクでなくともその素晴らしさと凄まじさが数値として見えるよう。
これでまだ16、成長途中だというのだから神様はやはり不公平である。
ひょい、とまるで重さのないものを抱えるように軽々と黒子を抱え、その腕に浮き出た血管と筋の男らしさにはもはや歯噛みするほかない。
青峰の浅黒い肌と黒子の真っ白い肌とは、そのコントラストにどこかぞくぞくと背徳感を煽られた。
見てはいけない、なんだか変な気分になる、けれど勝手に目が吸い寄せられる。
これは女が騒ぐはずだ。残念ながら本人の耳は素通りするばかりらしいが。
巨乳好きを公言して憚らないくせに、言っていることとやっていることがこれほど合致しない男も珍しい。
誰も彼もが憧れるだろう幼馴染み、桃井さつきをそばに置いてブスだのなんだのとのたまうわ、大好きだろう巨乳にも「でかくなったな」と感想は口にしても興奮する様子はまるでない。
一緒にいた時間が長すぎて異性として意識していないのかと思えば、ふとした瞬間に彼女を女として扱ったりするくせに。
それでも青峰がどこからどう見ても「特別」として扱っているのは、大事そうに抱えられた影の薄い男、ただ一人だ。

掛け湯を終えた青峰がどぎまぎと視線を泳がせ始めるこちらの事情など少しも鑑みず、絶え間なく熱い湯が注がれ続ける注ぎ口から離れ、坪庭に近い側へとざぶざぶ湯を掻き分けて進んでいく。
そっちじゃぬるいだろ、と火神は声を上げかけて、はたと気が付いた。
青峰が熱い湯を好まないなんてことは聞いたことがない。
聞いたことがないから苦手かどうかもわからないが、ただひとつ言えることがある。
黒子は、熱い湯に弱い。
思い出すのはそう遠くない過去の合宿。偶然桐皇と居合わせたときのことだ。
あのころはまだ一方的に負かされた後で、青峰も黒子もお互いをバリバリに意識していたというのに。
湯あたりした黒子のためにポカリを買いに走って戻れば、いつ来たのだか青峰がスクイズボトルを差し出した後だった。
傍目には険悪なくせにそれだけじゃなくて、やっぱりどこかで繋がり合っているような。
彼が差し出したボトルの中身はしっかり黒子リクエストのポカリで、きっと中学の頃には青峰が世話を焼いていたんだろう、そう思えるような自然さだった。
あの先輩相手にも傍若無人に振る舞ってみせる傲慢な男が、だ。

今このときだって同じこと。
きっと熱い湯も平気な青峰がわざわざぬるい場所を選んで腰を下ろしたのは、体力的に限界を迎えて意地だけでどうにか起きているような黒子に余計な負担をかけないためだろう。
わかりにくいようでわかりやすい、彼の「トクベツ」。
自覚がないのは当人たちばかりかと火神は苦笑を噛み殺した。
その横で、ようやく黄瀬の石化が解けたらしい。
モデルらしからぬ崩れた表情で、青峰と黒子を指す指先が震えている。

「あ、ああぁあああぁぁぁああぁぁあ青峰っち、くくく、黒子っちは、その、抱っこちゃんで天使で服が脱げて」
「ア?日本語喋れよわかんねえ」

凶悪に眉間に皺を寄せる、その表情は見慣れた青峰のものだったけれど、黒子に触れている手ばかりがただただ優しい。
肩に腕を回して自分に寄りかからせているのは、黒子の肩が冷えないようにするためと、少しでも楽をさせてやるため。
膝の上に座らせているのも、湯あたりを起こさないようにするためだ。
甘やかすにも程がある、と、一体誰なら青峰に突っ込めたのだろうか。

「っていうか、ズルイっすよ青峰っちばっかり!!オレも黒子っちに甘えられたい!黒子っちください!」
「やるかこの色ボケ」
「色…ッ!?」
「あまえてないですあおみねくんがかってにしてるだけです…」
「テツ、落とすぞ」
「ごめんなさいあまえられてうれしいです…」
「うっ、うわああああん黒子っちのばかー!!」

ぎゃあぎゃあと、先ほどよりは人数が減ったはずの風呂場がまた騒がしくなる。
わざとらしく眼鏡の位置を直し、明らかにそちらを見ないようにしながらの緑間が「うるさいのだよ」と黄瀬の後ろ頭を叩いた。
思いのほか強かったらしい衝撃に黄瀬の頭が湯の中に沈んで、それを見た高尾がばしゃばしゃと湯を叩いて笑いだす。
ああ、まったく、頭が痛い。

「やはり赤司がいないと収まらないのだよ…」
「ぶはっ、はははっ、真ちゃんまじ、中学んときもこんなんだったの!?」

まじサイコーだな帝光中!とご機嫌な様子で、目尻に涙まで浮かべて高尾が言う。
好きに言っていればいいのだよ、と溜息をつく緑間はすでに諦めの境地だ。
そういえばいつだか黒子から「緑間君は副部長だったんですよ」と聞いたことがあったが、副部長とは胃痛係だったのだろうか。日本の部活動はよくわからない。
きゃんきゃんとうるさい黄瀬を適当にあしらいつつ、程良く温まったらしい青峰が黒子を連れて立ち上がる。
ずるずると引きずられるようにして連れて行かれる黒子は青峰の為すがまま、わずかな洗い場にぺたりと座り込んだ。
どうにか自力で座っていることくらいは出来るらしい黒子に一息つくと、青峰は積んである椅子と桶とをシャワーの前に手際良く用意する。
それから一度脱衣場の方へ出て行って、以前の合宿のときにも黒子が使っていたお風呂セットを持って帰ってきた。

「ほらテツ、髪洗ってやるからこっち来て座れ。もたれていいから」
「ぅ……、はい、」

ずるり、ぺたん、とまるで這うようにして辿り着き、黒子は湯船に背を向けて、二つ用意された椅子の前にある方に座る。
その白く細い黒子の後ろ姿を、黒くてでかい青峰の背中が覆い隠した。
ず、と自分の座る椅子を引きずって、なるべく前の椅子に座る黒子と距離を詰めるよう。
黒子の背は青峰の胸にもたれ、彼の脚の間にすっぽりと収まる形だ。
なんというか、ものすごくデジャヴ、である。同じような体勢を、たぶん、昼間も飽きるくらいに見た。
青峰の手にある黒子のシャンプーハットがひたすらシュールだ。

「テーツ、ちょっと流すから下向いてろ」
「んー…」

ざば、と桶の湯を掛け流して、あの粗暴なはずの青峰が目を疑うほど優しい手つきで黒子の髪に触れる。
わしゃわしゃと泡立てられていくらしい青峰の背中の向こうの黒子から、花が飛んでいるようにさえ見えるのは目の錯覚だろうか。

「痒いとこはー?」
「ないです、きもちいいです」
「かはっ、そりゃ良かった」

寝ちまってもいいぞ、運んでやるから。
聞いたこともないような甘い声の主は本当にあの青峰だろうか。
わかっている、青峰だ、間違いなく青峰なのだけれど。
いったいどんな顔をしてそんな声を紡いでいるのだと、あの空間に突撃してやりたくなる好奇心を必死で押し殺す。

「テツ、ついでに背中流してやっから、寝る前に前だけ自分で洗えな」
「ねません、ぼくもキミのせなかながします…」
「おー、そりゃありがてぇけど、また今度な」

しばらくはこうして一緒にいられるだろ、なんて。
元の騒がしさを取り戻していた風呂場がしんと静まり返って、さほど大きくないはずの二人の会話がよく響く。
大切で大切で仕方ない、そんな気持ちを隠しもしない青峰の声を聞いてしまった可哀想な現桐皇キャプテン、若松は顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。

こん、こん、と先ほどからなにやらピンク色のハートが当たっては散っていく気がするのは気のせいだろうか。
ついでに血の涙でも流しそうな形相で薄手のタオルを噛んでいる狂犬もといモデルの姿がすぐそばにあるのも気のせいにしたい。
緑間は目を閉じ両耳を塞いで元素記号の暗唱中、臨界点を迎えたらしい高尾は両手で口を押さえ、腹筋をひくつかせて大爆笑を耐えている。
桜井は洗い場に背を向けて湯の中に沈みかけているし、早川は若松に負けず劣らず顔を赤らめて石化中だ。
火神が名前を知らない他校の部員達はいつのまにやら逃げ出して、ひどく厄介な二人の世界はどんどんと広がっていく。
防衛戦線はすぐそこだ。ここで課せられた使命はなんだろう。

(つーか、なんでこんなに長湯しちまったんだオレ!)

火神の嘆きを聞く者はおらず、悔んでみてももう遅い。
自覚のないお人よしは、痛む頭を湯あたりのせいにはできないまま、桃色の靄の向こうにかける第一声に悩むのだった。





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